sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード23)・・・R2.2.14①

             エピソード23

 

 朝夕漸く涼しくなって、秋の気配が感じられるようになったある日曜日、藤沢浩太は奈良公園をふらふら歩いていた。南生駒にある家から矢田丘陵を横断して奈良盆地に入る国道308号線(旧暗がり街道)を通れば、30分ほどで大和郡山まで出られるから、それを弾みにあと1時間ほど歩いて遥々やって来たのである。

 中学校2年生になって、父親の慎二の許可もそこそこに、なし崩し的に模造刀を買い始めてからもう2年になる。家には既に10振り以上あり、その内の半分以上は大仏殿前にある鹿野屋で買ったから、浩太にとって奈良公園はすっかり馴染みの場所になっていた。

《それにしても、中学校2年生になったばかりの自分に、なし崩しとは言え、よく許してくれたもんやなあ~》

 浩太は時々振り返り、《分岐点はあの頃にあったのか》と、懐かしく思う。

 小学校5年生の後半の苛めが原因で始まった穴ごもり生活を6年生になるのをきっかけに抜け出せたときは、ただ抜け出ただけのことであった。全てが止まってしまったかのようで、歴史以外の勉強が全く手につかなくなった。歴史だけは引きこもり中に熱中し出した韓国時代劇やNHKの大河ドラマのお陰で、偏りはあるにせよ、グッと理解が深まったのである。

 元々我が国の城、甲冑、刀剣、弓矢、槍等に興味がある方だったから、染まり出すと早かった。慎二が持っていた木刀を欲しがり、流石にこれは許されなかったが、余っていた布切れ、肌布団、ダンボール等、何でも利用して甲冑、武器らしき物を作った。いびつなそれらを得意そうに身にまとい、腰に子ども用の短いビニール製の刀を差した様子は笑うに笑えず、慎二としてはどんな顔をすれば好いのか、判断に迷った。

 しかしこの時点でまだ慎二は、浩太に模造刀を許す気はなかった。鈍重そうな体型に、醸し出しているつんのめるような危なっかしい雰囲気。このまま家の中で好きなようにさせておくに限る・・・。

 中学校に上がってサッカーを始め、見る見る贅肉が落ち、背が伸びた。

 落ち着いた友達、西木優真や尾沢俊介を連れて来るようになり、自作の甲冑や武器もどきを見せて、冷ややかな反応が結構身に応えたようで、以後はそれらを押し入れの奥にしまい込んだ。

 クラブに自由時間のほとんどを取られるようになり、あまり顔を合わさなくなったので、癇に障らなくなったことも大きいかも知れない。父親にとって長男とは愛憎悲喜交々、濃過ぎる関係なので、少し離れたぐらいがかえっていい関係を保てる。これは夫婦にとっても同様で、新婚時代はともかく、安定期(倦怠期とは言わないことにしよう)に入ったら、何でも一緒にするより、それぞれの時間や空間、更にできれば趣味も持った方が好い。

 それはまあともかく、何にでも適齢期というものはあるようで、それも決まって突然のように訪れる。浩太の場合もそうであった。

 中学校に上がって1年を何とか終えたある日の夕食後、ちびちびとお茶を楽しんでいた慎二と母親の晶子に向かって、

奈良公園まで独りで遊びに行きたいねん。小遣いだけでは足らんから、お年玉の貯金から下ろして行くわなあ~」

 と、半ば宣言するような口調で言ったとき、あっさりと許され、鹿野屋で買ったアウトレットの模造刀を嬉々として持ち帰ったときも、とうとう買ったなあ、という感慨深い顔で迎えられただけで、何も言われなかった。

 後から慎二に聞いたら、「もう大丈夫やという気がしたんやぁ~」と言われただけであるが、浩太は自分でもストンと落ちた気がした。自信があったからこそ、強気になれたのだ。

 以後は何とかなりそうなお金が算段できる度に、奈良、大阪、更に京都、神戸まで足を延ばした。

 彼方此方で色々比べた結果、鹿野屋で買うことが圧倒的に多くなっているが、比較検討出来たことで楽しめたし、目が肥えたようで、これも浩太に自信を与えていた。

 今の目で見ただけでも、初めて買った商品が如何にいい加減であったか、一目瞭然であった。刃のメッキの剥がれはもちろんのこと、鯉口が痛んでがばがばになり、紐が日に焼けすぎて色褪せていた。それに目釘がいい加減で、ちょとどころか、すぐにがたが来て、禄に振ることができなくなった。

 2回目に行ったとき、中学生相手に流石に悪かったと思ったのか、奥から箱に入った新品を出して来て、かなり負けてもくれた。

 それこれも、今では浩太にとって好い思い出となっている。それ以前のことは霞み、自分の馬鹿さ加減、頼りなさが多少恥ずかしく思われるぐらいであった。

 そして、回数はともかく、浩太をグッと精神的に大人のレベルに近づけてくれたのは、矢張り謎の中国武術家、周豪徳こと田島一平との出会いであった。

 走馬灯のように脳裏を巡るこの2年間の思い出に浸っている内に、浩太は知らない道に迷い込んでいた。

《そう言えば、何だか寂しい気がすると思えば、彩りが足りなかったんやなあ。女の子に興味を示さへんからと言って、母ちゃんや父ちゃんが不思議がってたけど、別に興味がないわけやない・・・。今までに興味を持てる女の子がいなかっただけのことやぁ~。なんて言ったら偉そうか。ハハハハハ。正直なところ、自分のことで精一杯やぁ~。まだそんな余裕、ないわぁ~》

 自分はまだ恋愛に関して適齢期ではない。そう思い込んで安心しようとしたが、そうは問屋が下さなかった。それはもう理屈を超えた世界で、弓道部顧問、安曇昌江への抗い難い思いであり、それこそ本物の恋、突然の適齢期であった。

 収拾がつかなくなった胸の内を何とか収めようともがいている内に、更に迷い込み、気が付いたら、目の前に奈良市営の古びた弓道場があった。

 黒ずんではっきり見えないが、渋い崩し字で書かれた名札が掛かっている玄関の脇に立て看板が置かれ、「遷都1300年祭協賛 古都杯シニア弓道大会」とあった。
《そう言えば、今日。左近寺先生がこの大会に出る言うてたなあ。安曇先生を応援に来てくれ、と言って誘ってたし・・・。安曇先生はチラッと俺の方を見て、あんまり乗り気やなさげやったけど、来てるんやろかぁ~?》

 さも今思い出したようにしているが、実はこのことが気にかかっていたからこそ、わざわざ徒歩で山越えまでしてやって来たのだ。
《せっかく来たんだし、まあ覘いて行くかぁ~》

 大会の方は流石にベテラン勢揃い。力強さはなくても、動きが道理に適っており、渋く、雅であった。その中で左近寺は昔取った杵柄故か、正確さ、美しさ、力強さ、どれをとっても抜きん出ていた。何時もの下卑たオヤジ臭さからは想像もつかない凛としたオーラが漂っていた。

 そして、やっぱり・・・。

 昌江が付き添い、甲斐甲斐しく補助を務めていた。見詰める目も真摯で、明らかに師に対する敬愛がこもっていた。

 でも、淫靡な部分が少しもない。師と弟子である前に男と女であったら当然あるべき部分が全く見当たらなかった。

 張り詰めた空気のまま、左近寺の独り舞台に終わり、昼になった。左近寺は昌江が差し出したタオルで、緊張が解けてようやく吹き出て来た汗をぬぐい、キラキラ光る青年の目になっていた。

 そこに、左近寺より一回りは若そうな妙齢の女性が近付き、お弁当を差し出しながら、

「あなたは昌江さんと召し上がるぅ?」

「いや、お前も一緒に食べよう」

「でも、お邪魔じゃない?」

「そんなこと、奥様・・・。久しぶりに3人で一緒に食べましょう」

 昌江はむしろ助かったように言った。

 左近寺もあっさりと、

「ほら、一緒に食べたらいいじゃないかぁ~。前はよく一緒に食べてたんだから、別に気を遣わないだろぉ?」

 その女性は安心したような、困ったような顔をして、結局、2人に従った。

 昌江と左近寺だけかと思っていた浩太は、一瞬何のことかと訳が分からなくなりかけたが、どうやら左近寺の妻の京子が弁当を持って来ただけのことらしい。

《と言うことは、もしかしたら不倫相手の安曇先生と鉢合わせ!? これは一体どうなるんやろぉ~?》

 浩太は要らぬ心配をしかけたが、そんな雰囲気は微塵もなく、師とその妻、そして弟子の睦まじい関係、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 実際、左近寺からは要らぬ垢が落ち、昌江とより、むしろ京子との間に新たな蜜月を迎えたような甘い空気はあった。それはうまく溶け合っている夫婦のみが持つ、円満なエロスであるから、ごく自然で、淫らさとは対極にあるものであった。

《どうやら、みんなが勝手なことを噂しているだけで、安曇先生と左近寺先生は単に弟子と師の関係やったんやなあ~。それも家族ぐるみで・・・》

 浩太は胸を撫で下ろしていた。

 本当は左近寺から憑き物が落ちたように変な欲望が消え失せ、弓道、そして家庭に目が向いただけのことであった。

 しかしそれが迷いを取り去り、今日の左近寺は達人のオーラを醸し出していたから、昌江にとってまた憧れの対象に戻ったかのようであった。それを直接目にしていただけに、ある面、浩太にとっては余計に不安が大きくなったと言えなくもなかった。

 

        達人の空気を醸す師を仰ぎ

        弟子の瞳が輝くのかも