sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード18)・・・R2.2.9①

               エピソード18    

 

 人生には異性から、とは限らないが、ともかく持てる時期が誰にでも3回は来るらしい、今はそれを洒落て、「モテキ」と呼んでいる。   

「ふぅ~ん、モテキと言うのかぁ~?  俺のモテキは何時来るのかなあ!? ひょっとしたら、もう終わっていたりして・・・」

 ここは奈良県立西王寺高校の職員室。教員全員に支給されたノートパソコンを前に、中年の数学教師、赤羽義雄が自虐的に笑っている。自分が心身ともに弛み切っていることは承知しているから、自分をネタにして笑う余裕を見せることで、辛うじてプライドを保とうとしている。

「先生なんかまだ好い方じゃないですかぁ!? もう結婚もできているんだから、少なくとも1度はモテキが来たわけだし、あんなに素敵な奥さんが居て、一体何が不満なんですかぁ~!? 僕なんか、まだ恋人はおろか、ガールフレンドさえ居ないのに・・・」

 社会教師の生田省吾である。赤羽と一緒によく飲みに行き、終電を逃して帰れなくなる度に、赤羽の自宅に泊めてもらっている。

「君は本当に分かってないなあ~。そやから35ぉ近くにもなってまだチョンガーなんやぁ~。男は何時でも狩人。狩りをしなくなったら、男やないんやでぇ~。そして狩りの対象は新鮮な獲物に決まってるがなぁ。フフフッ」
異議ありぃ! 日に日に新た、日に新た、ですよぉ~。その日その日で気分を新たにして、たとえ同じ人であっても違う魅力を見つけようとするのが我々教師の務め。そうじゃないですかぁ~!? もっとも、僕のワイフは見つけようとしなくても見せてくれるけどね。昨夜なんかも通販で買ったレースの・・・」 

「ストップ! もうええ。新婚の君にはこの会話に加わる権利はないわぁ~」

 英語教師の吉本悟の惚気話を聞いていられなくなった赤羽が叫んだ。

 ここまで黙って聞いていた理科教師の増井静香がおもむろに口を開き、

「吉本先生のお話は、ある意味、間違いではありません。生物の細胞と言うものは、始終生成、消滅を繰り返しているわけでして・・・」

「胃の粘膜なんか3日もあれば張り替わっている、って言うんやろぉ~? 俺達にまで理科の授業をしてくれなくてもええよぉ」

 静香の無表情なままの講釈に半ば呆れながら、赤羽が止めた。

 時間が空いている教師同士の馬鹿話はまだまだ続きそうであったが、どうやら自分は今、モテキ的にはどん底に居て、運はこれまでにもうすっかり使い果たしてしまったかのように思える左近寺周平は、何だか身につまされて、黙ったまま職員室を出た。

 やっぱり落ち着くのは弓道場である。落ち目とは言え、人生の大半を過ごして来たはずの弓道場は何の違和感もなく、温かく迎えてくれる。現実はどうか分からないが、少なくとも今はそんな空気を感じた。

「さて、どうしたものか?」

 定年まであと5年を切った左近寺には、若い頃からの奮闘および活躍に敬意を表してか? 今は大して仕事が集中しておらず、自由な時間が増えている。

 暇を持て余したこんなときにすることはひとつ。ただ黙々と弓を引くだけであった。

 要するに根っから弓道が好きなのである。

 と言うか、生活の一部となっている。

 そして、息を吸って吐くように放たれた矢の精度は高い。ほとんど的の中央に吸い込まれて行った。

 パチパチパチパチパチパチ・・・

 乾いてよく響く音にちょっとドキッとし、振り返ってみると、微笑みながら尊敬の眼差しで見詰めている安曇昌江が居た。今更感動を言葉にするほど白々しい仲でもないから、師に対してただ黙って拍手を送っていた。

 左近寺もそれで好かった。さっきまでの惨めさは嘘のように取り払われ、今は素直に弟子としての昌江の敬意を受け止めることができた。

《こいつにこれ以上求めるのは間違っているんやろうなあ。本当の僕を知ってくれているのは昌江だけやし・・・、これで十分やないかぁ~!?》

 表情にもその思いが見えていた。陳腐な表現ではあるが、左近寺の瞳は、山奥の静かな湖のように澄んで深かった。

 帰りの車の中で、左近寺はしみじみとこれまでの人生を振り返っていた。

 確かに、何人もの女性と遊んだし、それを自慢にしていたこともある。あれをモテキと言うのなら、そうなんだろう。

 しかしそれを思うとき、懐かしさより、痛みを伴うほろ苦さがある。

 青春のほとんどを弓道と受験勉強に費やし、だからこそ栄光と地位、そして中年期から壮年期にかけてのモテキを得た。他人から羨まれもした。

《しかし、自分としては本当のところどうなんやろぉ~? 欲しいときに欲しいものが得られたんやろかぁ~!?》

 そんなことを何度となく問い直し、胸の奥を焦がし、血の涙を流した。

 左近寺は若い頃、恋愛の機会を持てず、見合いで結婚をした。子どもは3人得たが、家庭は冷たいものであった。

 特に子どもが大きくなってからは、折角立てた奈良では一等地、登美ヶ丘の豪邸も、ほんの偶に着替えを取りに帰る場所でしかなくなっていた。

 そして、そのようにした責任の大半は自分にあると承知していた。

 確かに、見合いで結婚したからと言って、あとから伴侶とゆっくりと恋愛を始めてもいいはずである。何も素面でいきなり動物的にならずとも、2人で手を取り合って、仲よくサンクチュアリへ門の潜ってもいいだろう。その方がよほど健全である。

 分かってはいたが、お互いが未熟過ぎた。意地を張り合い、結局ここまで来てしまった。意地を張り合っている内がある意味恋愛への大きな機会でもあった、と気付きもせずに・・・。

「でも、やっぱり、あんな小僧には負けられないなあ~」

 藤沢浩太のことに思いが至ると、平静では居られなくなった。

「まだまだ・・・」

 そう思うことで、ちょっと元気が出て、その勢いで久しぶりの玄関を潜った。

「ただいま~!」

 心なしか声が弾み、表情が華やいでいる。

「お帰りなさいっ!」

 受け止めた妻の京子の声も釣られて少し高くなった。

 そんなところを見ると、まだまだこれから恋愛が可能な2人でもあった。

 

        それぞれにモテキが三度やって来て
        生かすかどうか人次第かも