sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード4)・・・R2年1.29①

                        エピソード4

 

 9年前、安曇昌江が奈良県飛鳥京高等学校に入学した頃、左近寺周平は40代半ば、苦み走った男振りで、弓道の方でもまだまだ現役であったから、はっきり言って、初心(うぶ)で生真面目な昌江はただの新入生でしかなかった。むしろ昌江の方が左近寺に憧れ、ときにそれ以上の感情が混じっていたとしても不思議ではない状況であった。

 それと言うのも左近寺は、生徒だけではなく、同僚の女性教師、女性事務員、さらに保護者の女性、出入り業者の女性、他校の女性教師と、思いつく限りの範囲に属する女性全てに人気があった。時にははっきり根拠のある浮き名を流し、それでいて同性の誰からも、羨ましがられ、憧れられはしても、妬まれたり、恨まれたりすることはなかった。まさに我が世の春を謳歌していたのである。

 ただ、そんなことがあった、と過去形になるのにはそんなにかからなかった。

 きっかけはまことに些細なことで、部外者から見ればコメディであった。

 あるとき力自慢の男子部員たちと腕相撲をし、3人まであっさり負かしたのはよかった。父親が息子に圧倒的な力を示し、まだまだ敵わないことを具体的かつ徹底的に見せ付けて悟らせ、心の底から敬服させるという、よくある微笑ましい光景である。

 この勢いで、人並み優れて力があり、勘もよくてお山の大将的になっていた部員まで負かし、以後のクラブ運営をスムーズにしておこうと欲張ったのが運の尽き。連戦の疲れもあったのか、流石に手強く、何度かのシーソーゲームを繰り返した後、一気に持って行こうとすると、急な反撃を食らい、対応し切れずに、

 ポキン・・・

 乾いて軽やかな音が鳴り響いた。

「うっ!」

 綺麗に折れていた。

 レントゲン写真も綺麗であったから、あっさり治るものと安心していたら、予後が悪く、結局手術する羽目になった。

 どうやらCT、更にMRIレベルで見ると、急激で強烈な捻じれが加わった所為か、薄く剥離した骨の欠片が多数見つかった。鋭利な骨片が筋肉や腱、更に神経にまで細かい傷を付けていたらしい。それに長い競技生活で慢性的に疲れていたのか? 回復力が思っていた以上に弱かったようである。

 簡単に言えば年の所為だったのであろうが、意識的には頂点にあり続けていたはずの左近寺にとっては、到底受け入れられることではなかった。

 その思い込みの欲が働き、かえって悪かったようである。自信が失われた隙間を挫折感に取って代わられた左近寺からは急激にオーラが失われ、重苦しい気難しさが覆うようになっていた。

 自然と周りから女性たちの影が薄れ、背中に寂しさが漂うようになった。

 一方、中学時代から弓道を嗜んでいた昌江は、すぐに頭角を現すようになり、生物的に絶頂期を迎えた輝きに加えて、オーラさえ漂うようになった。

 典型的な逆転現象が起こったのである。

 生真面目な昌江からすれば、それでも左近寺は尊敬すべき、弓道的に見て憧れの恩師であったが、左近寺からすれば、煌めき出した昌江は意識に鋭く留まり、そう遠くない内に自分から離れて行きそうなことをはっきりと感じるからこそ、何としてもそばに引き寄せておきたい存在となった。