第3章 その5
回された文に躍るは何の詩か
秘密の臭い眩しいのかも
物理の時間、藤沢慎二は何時もと違う雰囲気を感じて顔を上げた。
連日遅くまでの受験勉強が結構応え、授業中には相変わらず寝ていることが多い。その慎二が思わず起きてしまうような空気を感じたのである。
おや、何やろぉ!?
隣の席の沢田美咲から手渡された紙片を開いてみると、何やら詩らしきものが書いてある。
今眠れる君へ
眠れる君は今目覚め、
希望の道へと、新たなる一歩を踏み出す。
希望の道は未だ暗く、ひどく細い。
しかも、ひどく険しい道だけど、
さあ勇気を持とう。
勇気を持って君が歩めば、
勇気を持って私も歩む。
さあ、互いの手を取り合って、
希望の道へと歩み出そうではないか。
眠れる君を何時も見つめている私より
当時まだ文学趣味に目覚めていなかった慎二には、これが一体何を意味するものか?さっぱり分からず、でも雰囲気だけはただならぬものを感じ、思わず隣の席の美咲に返してしまった。
せめて違う方に回せばいいのに、その判断が出来ないぐらいに混乱している。
「もぉーっ、違うでしょ!?」
どうやらこの回し文を慎二に回す協力者の1人だったらしい美咲は、じれったくてならない様子であった。
しかし、美咲はそれ以上何も言わず、紙片を畳んでスカートのポケットにそっと仕舞った。
慎二は暫らく胸の高まりが収まらなかったが、気にしていない風を装い、また寝入ったように振る舞った。
一体誰やろぉ、あんな手紙を回して来た子はぁ? 何が言いたいのか、さっぱり分からへんなあ。わけが分からへんのやから、俺宛てではないような気もする・・・。でも、やっぱり俺宛てかなあ? 嗚呼、さっぱり分からへんわぁ~!
慎二の胸は千々に乱れるのであった。
その内に美咲が大野恵子と同じソフトボール部員だったことに気付き、慎二はそれが何か関係しているのか? 関係しているとすれば今更一体どうすればいいのか? 余計に分からなくなり、本当に頭を眠らせてしまうことにした。
靴箱に怪しい文を見付けたら
其の日一日舞い上がるかも
それから数日後、図書室での勉強を終えて帰ろうとした慎二が下足室で靴箱を開けると、横開きの小振りな封書が入っている。
前のことがあるから、慎二は既に緊張の面持ちになって手に取り、おもむろに中の便箋を取り出した。
親愛なる眠れる君へ
お誕生日おめでとう。
健やかなるままに誕生日を迎えた喜びを神様に感謝する気
持ちで一杯です。
そして、この晴れやかなる日を、あなたと共に祝える幸せ
をどうもありがとう。
それから、いつまでも今のままの素敵なあなたでいてくだ
さいね。
それでは、これから受験まで大変でしょうが、頑張ってく
ださい。
眠れる君を陰から見守る私より
帰りの電車の中で慎二は独り悶々と悩んでいた。
昨日も今日も、そして明日も俺の誕生日なんかではない! やっぱり何かの間違いやろなあ、これはぁ~? でも、2回も俺のところに回って来るんやから、やっぱり俺に宛てたもんかなあ? 嗚呼、これから俺は一体どうしたらいいんやぁ~? 付き合うとしても、何をしたらいいのかなあ。そんな経験はないから分からへん。それに、これは一体誰やろぉ? やっぱり、大野恵子かなあ? 沢田美咲もソフトボール部やから大野恵子からでもおかしくはない。でも、本当に俺に宛てた手紙やろか? 今更恵子が俺にこんな手紙を出すのもおかしいなあ。もしかしたら、誰か他の子が隣の奴と間違ったんと違うんやろか? そうかぁ、大野恵子がフォークダンスのときにまた俺のことを思い出したんかも知れへんなあ・・・。
「おい、藤沢。えらい静かやなあ。何かあったんかぁ?」
隣に座った柔道部で同学年の優等生、松本昭雄が気遣う。
「いや、別に…。ちょっと疲れただけやぁ」
慎二としては、幾ら気安いクラブ仲間であっても、簡単には言ってしまいたくなかった。
「そうかぁ~。ほなええねんけどなぁ」
松本も疲れているのか、それ以上は聞かず、目を閉じた。