sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

交わらない心(21)・・・R元年12.29①

         終章 交わりを求めて (その2)

 

「父ちゃん、また他人のことをそんな風に勝手に書いて・・・。もし見られたら怒られるでぇ!」

 突然の声に私の蚤の心臓は縮み上がった。

 どうやら風呂上がりらしい家人が涼を求めて私の居る書斎まで上がって来て、パソコンのディスプレイを後ろからまじまじと見ている。私の家では年なりに緩んだ身体をした私だけが暑がりで、書斎にだけクーラーを効かせていることが多いのである。

「大丈夫やてぇ。別にこの頃は誰にも見せてないから・・・」

 以前は月に1度ぐらいの割合で、書き留めた歌日記をコピーして気の合った職場の同僚に配っていたのである。ある程度受けたこともあり、次第に受けを狙って書くようになりつつあった。

 それがしんどくなった。素人にありがちなことだが、好きで書いているはずなのに苦痛になっては堪らないから、自然と間が開き始め、やがて配らなくなってしまった。

 今でも配りたい気持ちがなくはないが、配るまでにはエネルギーが高まらないから、流れに任せている。

「そやけど父ちゃん、本当はそんなにも厳しくも思ってないんやろぉ? 情けないところも含めて自分大好きなのが父ちゃんやと思うでぇ~」

「まあ、そうやけどなぁ・・・。悩んだり、もがき苦しんだりしている自分も愛しいわけやぁ。でもな、初めから何でもかんでもええと言うわけやない。結果としての自分は許さないと次に進まれへんから、何とか受け入れるけど、過程では自分を真の意味で受け入れているからこそ、あえて投げ出し、最大限の努力が出来るわけやぁ。分かるかなあ、この感じぃ!? 分からへんやろなあ・・・」

「あっ、またそんな風に人を馬鹿にする・・・。父ちゃんと結婚してから毎日同じような話ばっかりしてるねんから、それぐらい分かるよぉ。でも、大概は言うだけのことで、その超が付くほど大好きな自分に簡単に妥協してしまうのも父ちゃんやしなあ」

 流石に我が家人である。10年間寝食を共にして来ただけあって、よく分かっている。以前ならば痛いところを突かれると、むきになり、時間を忘れて言い合ったものであるが、慣れだけではなく年の所為もあってか、この頃では自分の気持ちの中にだけ収めるようにしている。これも他人と交わることによっての成長と言えるのかも知れない。

「父ちゃん、何を1人でにやにやしてるん? 父ちゃん、ってぇ!?」

 それでもただ気弱に笑って見ている私のことが気味悪くなって来たのか、家人は微妙な表情をしながら書斎から出て行った。

 

 それから暫らくして私は再びパソコンに向かい、歌日記を付け始めた。

 抑え切れたようで実はまだ燻っている気持ちを少しでも落ち着けないと、このまま朝まで眠れないような気がしていた。

 だからと言って、別に家人に対して腹を立てているわけではない。大学で音楽を専攻していた家人に比べて私は反応が鈍く、しかも気弱な所為で、どうしても声が小さくなりがちで、言葉が少なめになってしまう。その結果たとえ家人相手であっても、他人に対していると言いたいことの半分も言えなくて、何時も気持ちが残ってしまうのである。定期的に歌日記を付けるようになってから、それが大分緩和されたような気がしている。

 

        山荘日記2005年7月21日

 

        愛された記憶に薄い人間は

        自分が好きになれないのかも

 

        愛された記憶に薄い人間は

        今一自信持てないのかも

 

 今の若者が自分を好きになれないということは、よく考えてみれば分からなくもない。本当の自分を探して何年も彷徨う人が多いこともそれに通じるような気がするが、要するに現実の自分が受け入れ難いわけである。そしてそれは親から本当に愛されて来なかったからだろうなあ。だから今一自分に自信が持てず、大事にも思えないのだろう。寂しい話ではないか。

 

        物を追い手に入れたなら幸せか

        寂しい風が吹いているかも

 

 明治維新後は欧米諸国に追い着く為に、太平洋戦後は戦争の傷跡から立ち直る為に、我が国が手っ取り早い方法として物質面に目を向けたのは仕方のないことである。それは勿論分かる。そしてその我が国を中心となって形成しているのは庶民であるから、庶民が物質、それを短時間により多く得る為に収入の高さ、効率のよさ等を求めるのも当然のことであろう。

 しかしそんな風に得られる幸せはやっぱり付け焼刃で、得られた瞬間、手の平から零れ始めている。直ぐに寂しさを覚え、また追い求め、麻薬患者のような無間地獄に陥ることになるのである。

 結局精神が覚える寂しさは、精神と確り向き合うことでしか解消出来ないのだろうなあ。フフッ。

 

        交われば面倒なこと多くなる

        その分寂しさ覚えないかも

 

        物よりも心豊かになりたいと

        言った尻から欲しがるのかも

 

        何か得て何か失う此の世界

        裏腹なこと理解するかも

 

 河合隼雄氏が常々言っているように、この世に2つ好いことは中々ないものである。どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない。迷いながら生きるのが普通の人生なんだろうなあ。フフッ。

 

 そこまで書いて私は漸く穏やかな気持ちを取り戻すことが出来、静かにパソコンを閉じた。

                                 (終わり)