第2章 その2
或る時のこと、2階にある藤沢慎二の担任クラスに付属するベランダからスリッパを投げ、下を通る人の反応を楽しんでいた子がいた。
自閉傾向の強い春名徹である。
『一体何をしてるんやろぉ? そろそろ止めさせないと危ないなあ・・・』
とのんびり思いながらも、慎二がぼんやりとその光景を眺めていると、そこに小柄でフットワークの軽い増本美知枝が飛んで来て、
「こらっ、徹! 何してるんやぁ!? 止めんかいな。下を通っている人に当たったら危ないやろぉ!?」
勢いよく怒り出す。
未知枝は同じ学年の他クラスの担任をしている教員であったが、続いて他クラスからも2、3人の教員が駆け付け、徹を取り囲むようにして口々に怒鳴り上げる。
思い切りビビらせることで身体に覚えさせようと言うことであろうか!?
『おおっ、怖いよぅ! そんな大きな声を出して皆で怒鳴り付けたら、たとえ俺でも怖くて覚えてしまうわぁ~』
そう思いながらも、どうして好いのか分からず、慎二はただ見ているしかなかった。
「・・・・・」
それでも教員達の気持ちが収まらないのか? 長くなって来たので、流石に何だかやり過ぎのように感じ始めた慎二が、
「まあまあそれぐらいで・・・」
と止めに入ると、空かさず美知枝にキッとした目を向けられ、
「何を言うてるんですかぁ!? 先生が叱らないから、私達がやって来て代わりに叱っているんでしょう? 何も出来ないんやったら、先生は引っ込んでいて下さい!」
キャンキャンと早口で捲くし立てられ、いとも簡単に追い払われてしまった。
何も知らないくせに、素人は引っ込んでいろ、と言うことのようである。慎二もそれを自認するだけに、返す言葉が無く、すごすごと引っ込むしかなかった。
その後も徹の悪戯は中々止まず、その度に慎二の目も前で同じような光景が繰り返された。
その際少しずつ変わって来たことは、慎二が勢いに欠けながら徐々に怒鳴り上げる輪に加わり始めたことだけである。
そんな慎二を如何にも面白そうに眺めていた学年全体を広くカバーするベテランの教員、道畑洋三がいた。
知的障がいの養護学校と言うところは拘りの強い児童・生徒が集まり易いところである。
障がいの特性上、それは勿論そうなのであるが、どう言うわけか? 教員の方もそうらしいから可笑しい。
元々似ているから其れまでの過程は様々でも、落ち着くところに寄り集まって来たのか? それとも来てから児童・生徒達の影響を強く受けて隠れていた面が引き出されて来たのか? まあ両方であるように思われる。
その中でも慎二、それに道畑は、かなりが付くほど子ども等の傾向に似ている方で、ことある毎に周りから自閉的と言われがちなタイプであった。
慎二が道畑に興味を持った切っ掛けは真に些細なことであった。
曙養護学校は養護学校としては全国的に見てもマンモス校で、小学部、中学部、高等部を合わせると常に400人前後の児童・生徒を抱えており、教職員は200人を優に超えていた。
したがって、原則的に全教職員が集まることになっている職員会議は、200㎡以上と、曙養護学校では比較的に広い部類に入る視聴覚室で行っても、とても全員分の机などは入れられず、パイプ椅子を全て同じ向きに並べ、全員が発言者、議長席の方に向いている、と言う発言者にとっては中々刺激的なスタイルである。
そんな職員会議でのことであった。たまたま道畑の斜め後ろに座り、長くなって来た会議に倦み始め、ぼんやりとしていた慎二の目に、何となく奇妙に思われる光景が飛び込んで来た。
道畑が前に座っている教員達の背中に回したウエストポーチのファスナーが開いていたら閉めたり、服の裾が乱れていたら整えたり、ごそごそと落ち着かない様子を示し始めたのである。
その時はちょっと違和感のある光景としてぼんやり眺めていた慎二であるが、後から考えると何となく可笑しく、かえって肩の荷が下りた気がしていた。
『変なことに拘る人間が自分以外にも居るんやぁ!? と言うことは、自分もここに居ていいんやぁ。自分も仲間なんやなあ・・・』
と言う意識が芽生え、
『そう言う意味では、自分にとって養護学校は強ち悪い職場とばかりは言えないなあ』
と思え始めたのである。
一方で道畑は、子ども達に対して極めて優しく、大人にとっても面白い色んなアイデアが一杯詰まった不思議なポケットを持つ、非常に優秀な指導者でもあった。
そして、傷付き、助けを求めている保護者、慎二のように頼りなく、不安げな教員に対しても、時には辛辣であったとしても、基本的には十分に優しい人であった。
その道畑が、大人を自負するスマートさ、世知辛さを持った教員、保護者に対しては、嘘のように子どもっぽい、頑なな態度になってしまうこともあるのだから、その辺りも可笑しい。
子ども等の変わった面が影響し
大人も変になって来るかも
人は皆無くて七癖あるもので
見ている内に染まり出すかも