sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

オネスト・ジョン(6)・・・R3.1.4②

            第2章 その2

 

 或る時のこと、2階にある藤沢慎二の担任クラスに付属するベランダからスリッパを投げ、下を通る人の反応を楽しんでいた子がいた。

 自閉傾向の強い春名徹である。

『一体何をしてるんやろぉ?  そろそろ止めさせないと危ないなあ・・・』

 とのんびり思いながらも、慎二がぼんやりとその光景を眺めていると、そこに小柄でフットワークの軽い増本美知枝が飛んで来て、

「こらっ、徹! 何してるんやぁ!? 止めんかいな。下を通っている人に当たったら危ないやろぉ!?」

 勢いよく怒り出す。

 未知枝は同じ学年の他クラスの担任をしている教員であったが、続いて他クラスからも2、3人の教員が駆け付け、徹を取り囲むようにして口々に怒鳴り上げる。

 思い切りビビらせることで身体に覚えさせようと言うことであろうか!?

『おおっ、怖いよぅ! そんな大きな声を出して皆で怒鳴り付けたら、たとえ俺でも怖くて覚えてしまうわぁ~』

 そう思いながらも、どうして好いのか分からず、慎二はただ見ているしかなかった。

「・・・・・」

 それでも教員達の気持ちが収まらないのか? 長くなって来たので、流石に何だかやり過ぎのように感じ始めた慎二が、

「まあまあそれぐらいで・・・」

 と止めに入ると、空かさず美知枝にキッとした目を向けられ、

「何を言うてるんですかぁ!? 先生が叱らないから、私達がやって来て代わりに叱っているんでしょう? 何も出来ないんやったら、先生は引っ込んでいて下さい!」

 キャンキャンと早口で捲くし立てられ、いとも簡単に追い払われてしまった。

 何も知らないくせに、素人は引っ込んでいろ、と言うことのようである。慎二もそれを自認するだけに、返す言葉が無く、すごすごと引っ込むしかなかった。

 

 その後も徹の悪戯は中々止まず、その度に慎二の目も前で同じような光景が繰り返された。

 その際少しずつ変わって来たことは、慎二が勢いに欠けながら徐々に怒鳴り上げる輪に加わり始めたことだけである。

 

 そんな慎二を如何にも面白そうに眺めていた学年全体を広くカバーするベテランの教員、道畑洋三がいた。

 

 知的障がいの養護学校と言うところは拘りの強い児童・生徒が集まり易いところである。

 障がいの特性上、それは勿論そうなのであるが、どう言うわけか? 教員の方もそうらしいから可笑しい。

 元々似ているから其れまでの過程は様々でも、落ち着くところに寄り集まって来たのか? それとも来てから児童・生徒達の影響を強く受けて隠れていた面が引き出されて来たのか? まあ両方であるように思われる。

 その中でも慎二、それに道畑は、かなりが付くほど子ども等の傾向に似ている方で、ことある毎に周りから自閉的と言われがちなタイプであった。

 

 慎二が道畑に興味を持った切っ掛けは真に些細なことであった。

 曙養護学校養護学校としては全国的に見てもマンモス校で、小学部、中学部、高等部を合わせると常に400人前後の児童・生徒を抱えており、教職員は200人を優に超えていた。

 したがって、原則的に全教職員が集まることになっている職員会議は、200㎡以上と、曙養護学校では比較的に広い部類に入る視聴覚室で行っても、とても全員分の机などは入れられず、パイプ椅子を全て同じ向きに並べ、全員が発言者、議長席の方に向いている、と言う発言者にとっては中々刺激的なスタイルである。

 そんな職員会議でのことであった。たまたま道畑の斜め後ろに座り、長くなって来た会議に倦み始め、ぼんやりとしていた慎二の目に、何となく奇妙に思われる光景が飛び込んで来た。

 道畑が前に座っている教員達の背中に回したウエストポーチのファスナーが開いていたら閉めたり、服の裾が乱れていたら整えたり、ごそごそと落ち着かない様子を示し始めたのである。

 その時はちょっと違和感のある光景としてぼんやり眺めていた慎二であるが、後から考えると何となく可笑しく、かえって肩の荷が下りた気がしていた。

『変なことに拘る人間が自分以外にも居るんやぁ!? と言うことは、自分もここに居ていいんやぁ。自分も仲間なんやなあ・・・』

 と言う意識が芽生え、

『そう言う意味では、自分にとって養護学校は強ち悪い職場とばかりは言えないなあ』

 と思え始めたのである。

 

 一方で道畑は、子ども達に対して極めて優しく、大人にとっても面白い色んなアイデアが一杯詰まった不思議なポケットを持つ、非常に優秀な指導者でもあった。

 そして、傷付き、助けを求めている保護者、慎二のように頼りなく、不安げな教員に対しても、時には辛辣であったとしても、基本的には十分に優しい人であった。

 その道畑が、大人を自負するスマートさ、世知辛さを持った教員、保護者に対しては、嘘のように子どもっぽい、頑なな態度になってしまうこともあるのだから、その辺りも可笑しい。

 

        子ども等の変わった面が影響し

        大人も変になって来るかも

 

        人は皆無くて七癖あるもので

        見ている内に染まり出すかも

オネスト・ジョン(5)・・・R3.1.4①

            第2章 その1

 

 藤沢慎二が曙養護学校に来て先ず驚いたことは、朝の雑巾掛けである。

 幅2間ぐらいある広い廊下に2、3人の生徒が横一列に並んでお尻を高く突き出し、担任の教員の掛け声と共に一斉に、勢いよく拭き始める。それが彼方此方のクラスで行われている姿にはある意味圧倒されるものがあり、思い付きでの批判を許さないものがあった。

 『躾ける先生等も凄いけど、従う生徒等も凄いなあ。流石3年生やぁ~!? よう成長してるわぁ、ほんまに・・・』

 きちんとしたことが大の苦手である慎二にすれば、ただただ感心するばかりである。

 それでもよく観ていると、太っちょの子、気力の無い子等が次第に膝、続いて尻を付けてさぼろうとし始める。

 が、担任の教員からは間髪入れず追い立てるような指示が飛び、それで駄目ならそんな子等は引っ張り上げられ、或いは押し上げられて、拭く体勢を取らされるのであった。

 中でも、慎二が担任をしているクラスで一番体重がありそうな浜田純也がとうとう座り込んでしまい、もうひとりの担任、若杉美也子が幾ら叱り付けても、手を引っ張っても、梃子でも動こうとしない。

 むしろ言えば言うほど駄々をこね出し、益々扱い難くなるばかりであった。

 初めの内は何となく美也子のやり方に批判的であった慎二が、ぼんやりとその光景を眺めていると、業を煮やした美也子が不満そうな目をして、

「先生、黙って見ていないで、手伝って下さいよぅ! もっと頑張らせて下さい。純也君、やろうと思えば本当はもっと出来るんですよ。それを甘やかしていたら、後から純也君が苦労するんです」

 かなりいきり立っている。

 それでも慎二がのんびりした調子で、

「まあまあ。あんなに嫌がっていることだし・・・。それに顔や体中に汗を一杯掻いていますよ。少しぐらい休ませてあげればいいんやないですかぁ~!?」

「先生がそんな甘いことを言うてるから、甘えようとしているんですよ。分かりませんか!? 先生が来るまでの純也君はこんなに扱い難いこと、なかったわぁ~! この子、ほんまによう状況が分かっているぁ~」

 慎二の反応を見て、美也子は余計に苛々し始めたようである。

 

 そんな慎二も何日か経つ内に周りの動きに飲み込まれて、さぼろうとする子に大声で気合を入れたり、お尻を叩いて叱ったり、腕を引っ張り回したり、すっかり偉そうな立場になり始めていた。

 それが好いと思ったと言うよりも、毎度毎度美也子と同じような遣り取りをすることが面倒になって来たのである。

 

        調教と見える指導に疑問でも

        何時しか慣れて従うのかも

 

        疑問持ち議論重ねる面倒を

        避けている内染まり出すかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 ただ養護学校の好い面は保護者を含め、大人の目が彼方此方から一杯入っているところである。

 

 疑問に感じられたことは比較的直ぐに声となり、それがやがて大きくなって来るから、速やかに改善されることも多い。

 

 それは子どもの声が上がって気難いからであるが、それもはっきりした言葉となり難いだけであって、表現は何も言葉だけでされるものではない。

 

 それに、それを聴こうと思う人からすれば、意外と聴こえて来るものである。

オネスト・ジョン(4)・・・R3.1.2②

          第1章 その2

 

 最寄りの東曙駅を出て、曙養護学校の近くまでやって来た時、藤沢慎二はどうも話が違うような気がし始めた。

『あの時、校長が、養護学校の内で希望は何処かと言うので、知的障がいだけは検討が付かないから無理やと思う、そやからそれ以外にして下さい、と言うといたのに、何だか約束が違うような気がするなあ。裏庭には楽しそうな遊具が一杯置いてあるし・・・』

 まるで幼稚園か小学校のような感じを受けたのである。どう見ても肢体に障がいを持つ子が遊べそうには思えない。

 

 曙養護学校の校長室では校長の沢渡啓三と教頭の増田幸介がちょっと苦笑いを浮かべながら、慎二を待ち兼ねていたように迎え入れた。

『何か拙いことでもあったんやろか!? 4月1日、今日が約束の日やったはずやけど・・・』

 慎二は不安で心臓がぎゅっと縮むような気がした。

「藤沢先生、さあさ、どうぞお座り下さい」

 教頭に勧められるままに慎二は、2人の前のソファーにドスンと腰を落とす。

 東曙駅からここに来るまでの間、半分以上は上り坂の道を結構速足で歩き、それでも10分以上掛った。それに昨日までの九州旅行の疲れも加わって、慎二は足腰がすっかり疲れてしまったのである。

「先生、今日までに何回か山鉾高校、それにご自宅にも電話をさせて頂いたんですが、連絡が全く付かなかったんですよぉ~。もしかしたら何処かにご旅行でも?」

 顔は笑っていても目は笑っていない。若造のくせにこの私に何度も電話をさせやがって、と教頭は怒ってでもいるようだ。

「あっ、すみません。そうなんですよぉ~。これが最後だから研修旅行にでも行かないか!? って誘って貰えたもんで、佐賀、長崎、それに時間の余裕がある時だからついでにって熊本方面まで回って来まして、それで遅くなってしまいました。お手数をお掛けしまして、本当にどうもすみません」

 口では謝りつつ、慎二は悪かったなどとはひとつも思っていない。

『曙養護学校の教員になるのは4月1日からやから、今日から来れば十分やろ!? それまでに連絡が付かなかったからと言うて、何でそんなに迷惑そうな顔をされなあかんねんやろ?』

 とむしろ不満げであった。

 その雰囲気を察したのか? 校長が笑いながら、

「ところで先生、山鉾高校で先生はえらい人気者やったんですねえ!? あの留守番電話の声、山鉾高校の生徒さん達でしょう?」

 話題を急に変えようとする。

 慎二も褒められて少しは気を好くしたのか? 表情を和ませ、

「ええ、そうなんですよぉ~! 山鉾高校のまあまあ近くに住んでいるもので、生徒達が時々やって来るんです。それでこの前に来た時、何時までも機械の声やったら味気ない、と言うて、あんな風に遊びで入れよったんですわぁ~。お恥ずかしい・・・」

「いやいや。それだけ先生が慕われていた、と言うことやと思いますよぉ~。それは好いことやぁ! そんな先生を我が校にお迎えすることが出来て、本当に喜ばしいことやと思っています」

 そう持ち上げながら、校長の目はもう笑っていない。

「しかしですねえ、先生。連絡が取れなくて困ったのも事実です。新しい学校に来ると言うのに、連絡ぐらい取れるようにしておいて欲しかったですなあ・・・」

 そう一本釘を刺しておく。

「そ、そうですねえ!? 本当にすみません。山鉾高校の場合と同じように思っていたもので・・・」

「仕方が無いから、所属学部(小学部、中学部、高等部があり、一般の小学校、中学校、高等学校が一緒になったようなものである)、学年、分掌等、此方で勝手に決めさせて貰いましたけど、それでよろしいですね!?」

「は、はい! 勿論それで結構です」

 慎二としては、神妙な顔をしてそう言うしかなかった。

 

 その後、貰った春休み中の予定表を見て、慎二は吃驚してしまった。

 新任として秋川高校に赴任した時、そして山鉾高校に異動した時も、4月になってから1度、前任の教科担当の教師等と1時間ほど打ち合わせをしただけで、後は始業式まで何も用がなかったのに、この曙養護学校では休日以外の休みが全く無く、予定がぎっしり詰まっているのを見て、

『嗚呼、俺は何と言う大変なところに来てしまったんやろぉ~!?』

 と面食らってしまったのである。

 

 それだけではなく、やはり一見して直ぐにそう思われたように、曙養護学校は知的障がい児を専門に受け入れる学校(と言っても、重複と言って、たとえば肢体に障がいを併せ持つ子も幾らか含まれていた)であった。

 しかし、この面談の最後の方で管理職にそれを確かめた時には、慎二にとってそんなことはもうどうでも好いような気になっていた。 

 

        学校が替われば事情変わるもの

        臨機応変大事なのかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 我が国の場合、就業時間になった途端にエンジン全開となり、就業時間が終わってからエンジンを止めて行くのが普通、みたいな意識が今もまだ残っている。

 

 だから我が子の場合でも、内定が決まった後は、大学生の内から何度も研修に呼び出されており、4月になって直ぐに動けることを目指しているかも如くであった。

 

 その割に交通費ぐらいしか貰えるわけではなく、最初の給料が出たのは5月末であった。

 

 お金の方はそれぞれが用意しておくように、と言うことである。

 

 多くのことが職場の都合で動いており、それに文句を言わず従う子が重宝される。

 

 教育も全般的にそう言う方向を目指して来たようであるが、否応なく国際化して来た今、少しずつでも変わって行くのであろうか!?

オネスト・ジョン(3)・・・R3.1.2①

          第1章 その1

 

 藤沢慎二が曙養護学校に異動して来ることになったのは、本人の発言からも想像されるように、本当に適当な理由からであった。

 来る前の年の秋、そろそろ異動希望を出す時期のことである。まだ前任校の秋川高校から山鉾高校に来て2年目の慎二は、出したところで異動させられることなど有り得ないとは分かっていた。その分、気楽に書いてやろうと思い、然るべき時には異動可能な全ての校種に希望順を付けて提出した。

 本来は希望する幾つかの校種にだけ順番を振るのが普通であり、たとえば全日制普通科(1)、定時制普通科(2)、全日制工業科(3)、以下空白、のように精々3種ぐらいに振っておくのが現実的であろう。それを慎二は挙げられている8校種全てに順番を振って出したのである。

 したがって提出した時、受け取った校長からは当然のように、

「先生は去年来はってまだ2年目やから、異動は先ずないと思って頂いた方が好いですよ」

 と言われ、慎二も納得した顔で返した。

「はい、分かっています! 用紙を頂いたので、何か書かなあかんのかなあ、と思いまして、ついつい書いただけのことです。どうもすみません」

 それを聴いて校長は安心したように、

「そうですか!? それなら好いんですけど・・・」

 誠にあっさり片付けられてしまった。

 勿論、予想していた通りであったから、慎二は何のショックも受けず、それでこの件はあっさり終わったものと思っていた。

 

 ところが、それですんなりとは終わっていなかったようである。

 3学期が始まって間もない頃、その日の業務を終えて帰宅した夜のこと、居間で寛いでいる慎二の元に1本の電話が入った。

 

📞トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、・・・・・

 

 風呂上がりに缶コーラを傾けながら、帰りに買って来たビデオでも視ようかと思っていたところだったので、ちょっと苛々した声で、

「はい、もしもし、藤沢ですけど・・・」

 慎二はただでさえ電話が嫌いなのに、大好きなレイコちゃん(多分当時まあまあ売れていた女優、葉山レイコのこと。もう51歳になるが、当時は可愛かった・・・。なんてどうでも好いか?)との逢瀬を邪魔されたのであるから、直ぐにでも切りたそうなぶっきら棒な言い方であった。

 そんな重い雰囲気を感じたのか? 電話の中の声は恐縮しながら、

📞もしもし、藤沢先生? 今晩は。小笠原です。帰宅して寛いでおられるところ、本当にすみません。急ぎの用があったもので、止むを得ず掛けさせて頂きましたけど、何だかお邪魔だったようですね!? 今、お時間の方はよろしいでしょうか? ほんの少しで結構なんですが・・・」

 校長の小笠原昭義である。温厚そうで、人の話は聴いてくれそうな感じに見えるから、これまでのところ管理職に恵まれなかった慎二としては決して嫌いなタイプではない。

「あっ、校長先生!? 今晩は。別に結構ですよ。時間ならたっぷりとあります。どうせ独り者ですから・・・」

📞ハハハ。有り難うございます。でも、少しで結構ですよ。そんなには御邪魔しませんから・・・。

 慎二としては精一杯のお愛想に、校長も大分気が軽くなったようだ。

 しかし、話はそう軽いものではないようで、一瞬の沈黙の後、気を入れ直して、

📞それでは。・・・。藤沢先生、今回、異動希望を出されていましたよね!?」

「あっ、はい!」

📞あれは、まだ生きていると思って好いですか?

「えっ!?」

 何だか意外そうな展開である。胸のときめきを感じながら、或る意味退屈に倦んでいた慎二は、直ぐにでも続きを聴いてみたくなって来た。

「何かあったんですかぁ~!?」

📞ええ、あったんですよ!

 そこで切って、校長は暫らく反応を楽しむつもりのようであった。

 慎二は焦れて来て、

「どこですか、それはぁ?」

📞先生、養護学校を3番目に希望されてましたよね? その養護学校から問い合わせがあったんです。

「そうなんですかぁ・・・。養護学校からあったんですかぁ・・・」

 退屈凌ぎには重過ぎる選択肢に、慎二は言葉が続かない。

📞先生、どうかされましたか!? 何だか元気がないみたいですけど・・・。

 分かっていて訊いているこの校長、温厚そうに見えて、実は確り腹に一物を抱えた、真に校長らしい校長であった。

「いや、すみません。意外なところだったもんで・・・」

📞そうですか・・・。そりゃそうかも知れないなあ。でも、行ってくれますよね!?

 少し躊躇したものの、慎二は何とか覚悟を決めて、

「は、はい、勿論! でも、僕で大丈夫なんですかぁ~!?」

 他人から期待されることに慣れていない慎二は、頼まれると中々断ることが出来ない。断るとまた独り寂しい生活を送らなければならないことを酷く恐れてでもいるかのようであった。

 校長はそこを逃してはならじとばかりに、

📞そりゃあもう、先生でしたら大丈夫だと思いますよ!? 自分から希望を出されているぐらいだから、きっと大丈夫。いや、絶対大丈夫ですよ!

 畳み掛けるように大丈夫と繰り返す。

 会議やほんの偶に行う面談以外では話したこともない校長から、訳の分かったような、分からないような、適当な保証をされて慎二も、まあ好いか、と適当に話に乗ってみることにした。

 独り暮らしが長くなって来て、慎二はそれほど退屈していたのである。

 

        退屈が変な勇気を与えたか

        先ずは動くと決めちゃったかも

オネスト・ジョン(2)・・・R3.1.1②

             序章(その2)

 

 保護者懇談会が何とか終わったその日の放課後、2人切りになった教室で相担(同じクラスの担任)の若杉美也子が何やら怒っている。

 藤沢慎二は時間も経っていることだし、まさか自分に対してまだ怒っているとは夢にも思わなかった。

「若杉先生、どうかされたんですかぁ!? 今日は保護者懇談会もあったことだし、もしかしたらお疲れになったのかなあ?」

「・・・・・」

 美也子が黙って睨んでいるのを慎二が、

『普段は整ってはいても地味やけど、怒った美也子の顔は凛としてこんなに綺麗やったんやぁ・・・』

 と思いながらぼんやりと見惚れていると、

「先生、本当に鈍感やわぁ~! 呆れるわぁ~! 昼間のこと、本当に何も覚えていないんですかぁ~!?」

「えっ、昼間のこと?」

 慎二はどのことを指しているのか既に分からなくなっているらしい。道理で美也子が怒っていても分からなかったはずだ。

「一体何のことですかぁ~? もしかしたら牧園さんが先生に対して言っていたことですかぁ~? 俊ちゃんの生傷が絶えないからもっと確り看ていて欲しい、と仰っていたことかなあ?」

「違いますよ! あの時私が、そんなことお互い様ですし、俊君が素早いんだからとても無理です、なんて言い返したこと、あれは確かに言い過ぎやったかも知れませんし、先生にはあの場を助けて貰いましたけど・・・」

 

 ことはこうである。

 牧園俊太は自閉傾向が強く、ちょっとしたことでクラスメイトと諍いを起こし易い。その時に噛んだり、嚙まれたり、引っ搔いたり、引っ掻かれたり、確かにお互い様の部分が無くはない。

 これが健常児なら、本人が家に帰って直接保護者に説明すればそれで済むことも多いだろう。

 しかし、言葉の得意でない障がい児の場合、そう簡単には行かない。はっきりとは分からない分、保護者として余計に心配が募るのである。

 その心配から自分の子に対する要求をより強くしても、ある程度仕方の無いところであるが、担任も人間であり、生徒に対して保護者ほどの思い入れが無い分、あまり強く出られると、あんたの子もしているんだからお互い様でしょ!? あんたの子ばかり見ていられないわよ! とでも言いたくなる。

 しかし、言いたくなったとしても、そこでぐっと堪えなければならない。言ったら話が更に長くなってしまう。

 その日の美也子は気の強さ、いや短さが出て、そこをついつい言い返してしまったのである。

 当然、牧園俊太の保護者、牧園浅香が激高し出したので、慎二が何とか彼とか宥めることになった。

 慎二は自分に関係のない揉め事の場合、割と上手く収めることが出来るのだから可笑しい。

 

「あの件はあれで収まったんやから、もういいんです・・・」

 それ以上は触れられたくないらしい。美也子も自分のことになると甘くなるのであるから、何方も何方である。

 

 美也子は少し間をおいて、気を取り直したように、

「私のことやなくて、いけないのは先生が最後の方に言ったことですよ! 本当に覚えていないんですかぁ~!?」

「う~ん、もしかしたら僕が何でこの学校に来たのか聞かれて、第3志望でうちに来た、って言ったことかなあ?」

「それですよ! 当たり前でしょ!? ほんまに鈍感やわあ・・・」

 美也子はまた目を怒らせ始めた。そんな美也子の大きく見開かれてよく光る目を慎二はまた、本当に綺麗だと思っていた。

「も~っ、先生ったら、またぼぉーっとした顔をしてぇ~! ほんまに反省しているんですかぁ~!?」

 慎二にすればそれがそんなに大層に言うほどのことなのか? 本当によく分からないので、正直に、

「ただ事実を言っただけやのに・・・。それに、第3希望にしても、希望したことには変わらないんやから、別に好いんやないかなあ?」

 と首を捻るように言うと、空かさず美也子は、

「あきませんよ、そんなこと! 何を言うてるんですかぁ~! 第3希望なんて言うたら、嫌々、仕方が無いから選んだと思われるでしょ!?」

「違いますよぉ~! 8個もある内の3番目ですよぉ~。まあまあ上の方ですやん!」

 変なところに真面目な慎二は、そこははっきりさせておきたかった。

「も~っ、先生ったら、ほんまに呑気やわぁ~!? そんなんここの保護者にしたら選んでないのと同じです! どうせ言うんやったら、1番目か精々2番目ぐらいに言うとかへんと、言う意味ないわぁ~! その2番目にしても、言うんやったら気を遣いながらもっと上手いこと言わなあかんかったのに・・・」

「えっ!? ??? 一体どんな風に?」

 余計なことには好奇心の旺盛な慎二である。

 美也子は呆れた顔をしながらも、

「たとえば先生やったら専門が基礎科学で、持ってはる教員免許が高校理科だけやねんから、どうしても其方に強く惹かれるものが残っていて、今、本当は1番惹かれている養護学校の方と最後まで迷っていたけど、迷った末、やっぱり専門重視と言うことで取り敢えず高校の方を1番にしておいた、ぐらいに言わないといけませんわぁ~!」

「ふぅ~ん、先生、中々上手いこと言いますねえ!?」

 慎二は本当に感心したような顔をしている。

 そんな慎二の素直な顔に妙に惹かれるものを感じるから、美也子は余計に腹立たしい。

「も~っ先生ったら・・・。そやけど、先生にはそんなこと関係ないでしょ!? 要するに先生の場合は、3番目なんて言うたらあかん、と言うことです!」

 それからも1時間ぐらい、今までのことも含めて繰り返し繰り返し美也子に責め立てられて、慎二は目をウルウルさせながら、ただ黙っているしかなかったのである。

 好い年をして人前で涙だけは零したくなかった。

 これまでも人前で、他に一杯恰好悪い面を見せているのであるから、冷静に考えれば今更どうでも好い拘りである。

 しかし慎二にすれば、それが最後の砦のように思えていた。

 

        郷に入り郷に従う方法を

        伝授されつつ辛くなるかも

 

        其々に拘るところ違うから

        遣り取りしつつ慣れて行くかも

 

 

オネスト・ジョン(1)・・・R3.1.1①

            オネスト・ジョン

                            相模宗太郎

 

        親愛なる母にこの話を捧ぐ

 

   正直者には福来る

   昔からそう言うでしょう お母さん

   なのにどうして僕には まだ福が来ないの

 

   こんなに正直に生きて来たのに

   僕がこんなにも寂しいのは

   どうしてなのか さっぱり分からない

   教えてお母さん どうして

 

   僕は昔から人様に後ろ指だけは指されまいと

   誰にでも正直に接して来たのに

   僕はまだ少しも幸せになれないんだ

 

   でも 安心してお母さん

   僕はこれからも正直に生きて行くから

   誰にも笑われないように生きて行くから

 

              序章(その1)

 

『僕はどうしてこうなんやろぉ? 別に悪気があったわけやないのに、また余計なことを言うて若杉先生を怒らせてしもた。ざっくばらんに言うたら保護者との気持ちが近付くかと思ただけなんや。養護学校って、本当に難しいところやなあ・・・。こんな難しいところで果たして俺は、これからもやって行けるんやろか!?』

 5月上旬、初夏とは言え、まだ肌寒さの残る涼風に吹かれて過ごし易い夜、風呂上がりに缶コーラを傾けながら、独りでのんびりと昼間のことを思い返してみると、藤沢慎二は言いようのない不安に包まれていた。

 昼間のこととは、その日、保護者を集めて行われた学級懇談会のことであった。

 

 慎二はこの春から大阪府の東北部に位置する曙養護学校に勤め始め、1学期が始まってからまだ1か月ほどにしかならないのに、養護学校の事情を全く知らず、少しでも早く適応しようと言う努力もしない所為で、無神経な言動だけが早くも目立ち始め、ここ週間ほどの間に同じクラスのもうひとりの担任、若杉美也子から毎日のように激しく責め立てられ、かなり参っていた。

 美也子も養護学校の経験が3年目で、そんなに経験があるわけではないが、生真面目な性格で、これまで仕事一筋に一生懸命取り組んで来ただけに、慎二ののほほんとして殿様然とした仕事振りが癪に障ったのであろうか!?

 それに、今年30歳になり、どうやら同い年らしい慎二がちょっと気になる存在でもあるらしい。

 そう言えば同僚達から、この頃少し綺麗になって来たと噂されているようであった。

 

 その日の学級懇談会は保護者と初めて顔を合わせる、いわば養護学校における儀式のようなもので、慎二のように普通校から異動して来たばかりの教員は何だか値踏みされているような、変な緊張感を伴う場であった。

 懇談会では先ず美也子が生徒それぞれの学校での様子を差し障りのない程度に話し、次にそれぞれの保護者から家庭での生徒の様子を簡単に話して貰った。

 現時点のことをお互いに大体確認し終え、生徒達はこの年もう中学部の3年生になっていたので、どの保護者もすっかりリラックスした様子である。

 

 暫らく沈黙があった後、保護者のひとり、秋元康江が柔らかく微笑みながら慎二の方を向いて、おもむろに聞く。

「藤沢先生、確か養護学校は今回が初めてでしたわね?」

 どうやら、養護学校の教員の中では比較的若く、ちょっと茫洋としたところのある慎二に興味を持ったようである。

「ええ、そうです。近くにある山鉾高校から来ました」

「先ほどの全体会でもそう仰ってましたわね!? それで、どうして今回は養護学校を選ばれたんですか?」

 康江はちょっと試すような、期待するような表情をしている。

 

 養護学校に子どもを通わせている保護者はそれぞれどこか傷付いており、その分、他人に対して厳しい目を持っている。

 自分がどう言う運命の悪戯か障がい児を持ち、ここまで掛かって漸く、大分受け入れて来たにせよ、まだまだ辛い日々を送っているのに、また少しでも子ども共々居場所を確保する為に、一生懸命色んな運動に取り組んで来たのに、のほほんとやって来て高い給料を貰っているように見える慎二が気になって仕方が無いらしい。

 しかし彼女等は、一旦自分達の思いに賛同し、真摯な取り組みをしている教師と認めると、全面的に信頼を寄せて来る場合が結構見られる。

 それはちょうど村の中に入った新参者に対する過剰な警戒心と期待、と言った感じにに似ていて何だか面白い。

 

 しかし、他人の気持ちに対して呑気な慎二は、そんな複雑な思いがちょっと硬くなった康江の表情の裏に隠されているとは夢にも思わず、

『折角自分に興味を持って聞いてくれているんやから、出来る限り真面目に、かつ暗く、重くならないように答えなければいけないなあ』

 と単純に考えて、軽く口を開いた。

「いやぁ~、大した理由なんかないんです。我々教員は異動して来る前年の秋に異動希望と言うのを管理職に出すんですがねぇ、その時に学校の種別に希望順を振るんですよ。その時にたまたま養護学校を、確か8個ある内の第3希望ぐらいにしておいたら、通っちゃったんですよ。ハハハハハ」

「まあ、第3希望ですかぁ~!?」

「ええ、第3希望です。ハハハ」

 どうやら非常に拙かったようである。

 自分の周囲に冷たい空気が一気に流れ込んで来たことに違和感を覚えながら、慎二は心の中で、

『そやかて希望しているんやから、しないよりはましやろぉ!? それに第3希望やったら、まあまあ高い方やのに、何もそんなに冷たい目をせんかて・・・』

 と栓のない言い訳を繰り返していた。

 

 普段から運命の理不尽に傷付いている保護者達は、外にいるものからすれば真面目過ぎると思うほどの真面目さを他人に対しても要求するもののようで、頭の片隅では厳しい現実を分かっていても、自分達と同じように真摯に立ち向かおうとする姿勢を他人である教員に対しても強く期待しているようであった。

 それを、どうせ第3希望ですから、と言う感じで安っぽくされることを許されないものように思えたのであろう。自分達がこれまで一生懸命立ち向かって来たものに対してお前は一体何ということをしてくれたのだ!? と腹が立って仕方が無かったのである。

 事実、慎二が養護学校を第3希望としたのは、単なる出来心で、そんな気なんて全く無かった、とまでは言わないまでも、安っぽい感傷に過ぎない面も多々あり、障がい児に関することは何も分かっていなかった。

 単に高校で、肢体不自由はあるものの、成績的にはむしろ上位に属する生徒2、3人に接する機会を持っただけのことである。

 その生徒達は精神的にも幼稚化している今時の健常な高校生よりもよっぽど大人っぽく、慎二の感傷に合わせてくれるぐらいだったので、慎二はすっかり自分を、障がい児に対しても健常児と全く分け隔てなく接する優しい教師と思い込んでいたのであろう。

 綺麗事しか見ていない自称人権派教師にありがちなことであった。

 当然のように、重度の知的障害を持つ生徒が通う曙養護学校に赴任し、生徒達と接し始めた瞬間からまごまごすることばかりで、美也子をはじめとする周りの教員に呆れられ、迷惑がられる日々の連続であった。

 おまけに、保護者の前でも養護学校に異動して来た経緯を馬鹿正直に話すものであるから、保護者にまで呆れられる始末であった。 

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 これは20年ぐらい前に書いた話である。

 

 少し訂正したぐらいで、殆んど変えていない。

 

 当時の養護学校は今特別支援学校と言われている。

 

 色々な意味で大変と言うことか? 普通校の教員よりは10%増しの給料であった。

 

 ついこの前まで、このブログではスポーツに関することを中心に書いていたが、そろそろ書きたいスポーツのことが減って来たので、また以前に書いた話を見直しながら上げて行きたい。

 

 お時間と気持ちの余裕のある時にでも読んでいただければ幸いである。

スピードスケート全日本選手権女子、高木美帆完全制覇おめでとう!・・・R2.12.30①

 12月28日(月)から北海道にある「明治北海道十勝オーバル」においてスピードスケートの全日本選手権が3日間の日程で開催されていた。

 

 そこで女子のオールラウンダー、高木美帆(26歳、164㎝、58㎏)が昨日まで一昨日の500m、3000m、そして昨日の1000mと3冠を成し遂げていたが、最終日の今日、1500mでも優勝し、2時間置いて5000mでも優勝し、圧巻の5冠を達成した。

 

 男子ではまだいないそうであるが、これまでに6人おり、高木美帆自身も2度目の達成になると言うから、流石の強さではないか!?

 

 もう少し詳しく見ておくと、12月28日(月)に行われた500mでは以下の様であった。

 

  1位 高木美帆   37秒80

  2位 小平奈緒   38秒04

  3位 郷亜里砂   38秒19

  4位 辻麻希    38秒38

  5位 稲川くるみ  38秒45

 

 第一人者の小平奈緒(34歳、165㎝、60㎏)の調子が上がっていないのとは言え、ここで唯1人37秒台を出して優勝したところから今回の快挙が始まっている。

 

        高木美帆小平破り自信持ち

 

        高木美帆小平破り先が見え

 

 また3000mは以下の様であった。

 

  1位 高木美帆   4分03秒97  国内&リンク新記録

  2位 佐藤綾乃   4分05秒77

  3位 押切美沙紀  4分08秒52

  4位 高木菜那   4分12秒09

  5位 ウイリアムソン・レミ  4分12秒94

 

 12月29日(火)には1000mが行われ、以下の様であった。

 

  1位 高木美帆  1分14秒02  リンク新記録

  2位 山田梨央  1分15秒90

  3位 高木菜那  1分16秒26

  4位 小平奈緒  1分16秒34

  5位 郷亜里砂  1分16秒82

 

         高木美帆得意の千でリンク新

 

 そして今日、12月30日(水)は先ず1500mが行われ、以下の様であった。

 

  1位 高木美帆   1分54秒08  国内&リンク新記録

  2位 押切美沙紀  1分56秒55

  3位 高木菜那   1分57秒23

  4位 佐藤綾乃   1分57秒66

  5位 小野寺優奈  1分58秒47

 

 ここは得意分野であるから勝つのは当然としても、そこでも好記録を出しているから、流石ではないか!?

 

        高樹美帆千五百ではぶっちぎり

 

 それにここで相当疲れていたようであるが、それでも2時間ほど休んで挑んだ最終種目の5000mでは以下の様であった。

 

  1位 高木美帆   7分07秒33  リンク新記録

  2位 押切美沙紀  7分11秒77

  3位 ウイリアムソン・レミ  7分17秒90

  4位 佐藤綾乃   7分21秒27

  5位 北原もえ   7分28秒90

 

 この種目を終えて高木美帆はエネルギーを出し切り、目が回ったそうであるが、暫らく横になって立ち上がり、最終組が終わるのを待つ間、自転車漕ぎでクールダウンしていたから流石ではないか!?

 

 なんて、今日は録画にせよ映像を視ていたから、感心してばかりだなあ。フフッ。

 

        高木美帆最後の五千気力出し

        全てを掛けて勝ち切るのかも

 

 本人はそれでも幾つかの不満があったようだが、それが彼女を更なる高みへと押し上げて行くことを今後も見守り、応援したい。