sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

熟年ブロガー哀歌(1)・・・R2.4.5①

               その1

 

 大林盛夫は今年で53歳になる。もう十分過ぎるほどベテランではあるが、いまだに自分探しに余念がない、しがないサラリーマンである。このまま無難に勤め上げればあと7年で定年になる。大幅な収入減は止むを得ないにしても、その後の仕事も期待していいだろう。

 しかし、大林は何か物足りないものを感じていた。

《小さいながら家も持ち、子どもらも独立した。ほぼ人生設計通りに進んでいる。これからは妻と第2の青春と洒落込めばいい。幸い妻は美しく、年の割に未だ十分若さを残している。それに、理由はそれだけではないが、私は妻を深く愛している。だけど、本当にこれでいいのかなあ!?》

 大林は心の何処かで、あんまり予定通りだと人生の下り坂を足早に下りて行きそうな気がし、淋しかったのである。

 そんなとき、帰り道で買ったスポーツ新聞の小さな広告が目に留まった。

 

   あなたの第2の青春を独り占めにしないで、
   みんなに分けてあげませんか?
   ぜひ私たちにお手伝いさせて下さい。

 

 何のことかと思い、読んでみれば、「熟年ブロガー養成講座」とある。

 世の中には淋しい老人が多く、然りとてプライドが高いから、簡単には友だちが見付からない。そんな老人もインターネットを通じてのやり取りなら殻を破り、自分を解放出来るから、メールの相手や興味をそそるブログの需要が高まるはずだ。その需要に応えられるのは人生経験豊かな熟年しかいない。熟年のあなたに必要なのはあとブログのテクニックだけだから、それは当社にお任せ下さい、ということのようだ。

《ふむふむ。ノートパソコン、プリンター、デジタルカメラ、それにテキスト、講義の入ったCD-R、6か月に亙るインターネットによる指導込みで50万円かぁ~。ちょっと高い気がするなあ!? でも、同時に出来る割のよい仕事を紹介するから支払いがぐんと楽になるはずです、かぁ~。それならいいかも知れない・・・》

 この頃書くことに興味を持ち出し、身辺雑記風の日記を付け始めた大林は惹かれるものを感じ、取り敢えず始めてみることにした。

 

 数日後届いた教材は、殆んどソフトが付属せず、そのままではインターネット検索と簡易ワープロとしてしか使えないような安物のノートパソコン、それぞれ1万円もしないようなプリンター、デジタルカメラで、梅田にあるヨドバシカメラ辺りで買えばポイントを有効利用して全部で10万円もあれば揃う代物である。それに本屋かコンビニにでも行けば500円で売っているCD-R付きブログ入門雑誌、アルバイト募集の案内チラシが入っていた。

「なっ、何だ、これはぁ~!?」

 勿論、大林はクーリングオフの手続きを取ろうとした。

 しかし、連絡先はもぬけの空だし、料金は振り込んでしまっていた。

「仕方がない。雑誌でも読んで、取り敢えず自分で始めてみるかぁ~」

 

 それから暫らくして、大林は何とか自力でブログを開設した。

 

            山麓通信

 私は生駒地方の山麓に住む中年オヤジです。大阪からひと山越えるだけでこんなにも違うのかと驚くほど静かなところで、のんびり暮らしています。

 ところが朝は一転、虫や鳥の声がうるさいほどなので、年の所為ばかりではなく、ついつい早起きになってしまいます。

 仕方がない。テレビでも見るか。

 そう思ってテレビをつけてみても、この頃では殺風景なニュースや、馬鹿馬鹿しい芸能ニュースなどが十年一日のごとく流されているだけで退屈で仕方がありません。

 そうだ!? 折角環境のいいところに住んでいるのだから、散歩をしてみよう。

 と言うわけで、私はこの頃早朝の散歩を楽しむようになりました。近所のワンちゃんたちともすっかり仲よしです。

 1年の実りを刈り取られた田んぼの落穂を求めて集う小鳥たちの鳴き声が耳に心地よく、その光景は矢田丘陵を越えて来た朝日に映えて眩しい。歌の一つも詠んでみたくなります。

 

       チュンチュンと落穂求める小鳥たち
       矢田山越えた朝日が照らし

 

 う~ん、今一ですね。でも、ここの恵まれた環境、ゆったりとした時間の流れは、私のような凡夫にでも詩心を起こさせずにはおかないところを持っているということでしょう。

 

 都会に繋がる、未だ鄙びた部分も残す近郊都市に住む平凡な中年オヤジの呟きのような日記であるが、それが親近感を呼んだのであろうか? 同世代からは幾らか評価され、好意的な書き込みや、返歌等が送られて来た。それに気をよくした大林は2、3日に1回ぐらいの割で新しい日記を追加して行こうと意気込んだ。

 他愛無い日記を独りで付けている分には簡単である。悪口でもぼやきでも何でもいいし、文章も自分が許す程度に整っていればいい。

 しかし、曲がりなりにも日記を公開しようとするとそうは行かない。内容にも文章にも多少は気取りたくなる。

 始める前は、公開していれば何れ誰かプロの目に留まり、本当に仕事が来るかも知れない、と言う色気もあり、それがエネルギーになったのだが、1回書くだけでもかなり苦労した大林は、数回書いただけでブログを続けるのが苦痛になって来た。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 15年以上前に書いたものを読み返し、少し加筆訂正している。

 

 給料が頭打ちどころか、下がり出し、これは60歳で退職するのは無理だなあ!? と思われ出した頃か?

 

 勿論、退職金も年々下がっていた。

 

 それでも子どもが巣立っている人はまだ好いが、私のように結婚が遅く、年の割に子どもが小さい場合も増えて来た。

 

 そして自分探しをライフワークにする人も!?

 

 自分を大切にする個の時代の到来である。

 

 そこにインターネットの発達により、発信の場が増えた。

 

 敷居も下がった。

 

 世の中誰も彼もが創作者、発信者になり始めたようだ。

 

 それなりの意見を持ち、評価、評論する人も増えて来た。

 

 これを書いた頃、私はまだインターネットには抵抗があり、始めていなかった。

 

 始めるまでの数年間、実は憧れもあり、指をくわえながらこんなことを書いていたようだなあ。フフッ。

 

        ネットにて繋がることを恐れつつ

        実は憧れ膨らむのかも

小さくなあれ・・・2.4.4②

「MD(ミニディスク、録音再生用光ディスク)では沢山の曲を入れる為に音の無駄な部分が削ってある。同様に物には必ずある無駄な空間、いわば真空な部分を削れば小さく出来る。この考えを進め、生物にまで応用したのがこの縮小剤、チヂモンじゃ。これを飲めば、暫らくは締め付けられるような感じを受けるが、なぁ~に、そんなにきついものじゃない。これに耐えている内に、このボトルに余裕で入れるぐらいに小さくなれるのじゃ」

 そう言いながら、厚井夏雄博士は前に置いてあった500mlのペットボトルを持ち上げ、周りの皆に示した。

「どうじゃなぁ。誰かためしに飲んでみんかねぇ? なぁ~に、大して心配はいらん。さっき言ったことからも分かるように、このわしが実験台になって飲んでみたことがあるのじゃ。元に戻りたいときにはこの膨張剤、フクレンを飲めばよい。多少引き千切られるような感じがするが、これもそんなにきついものじゃない」

 そう言って笑う博士の顔が、多少引きつっているように見えたのは気の所為だろうか!?

 確かに怖かったが、それよりも好奇心の方が勝った私は博士の実験台として協力することにした。

「いいか。この緑の錠剤がチヂモン、オレンジの錠剤がフクレンじゃ。そうさなあ、長さで言って、それぞれ10分の1、10倍にする効果がある。くれぐれも間違わないようになっ! と言ったら緊張するかも知れんが、なぁ~に、心配することはない。色を変えてあるから、間違って逆になることがあっても、膨れてから縮むだけの話じゃからのう。ハハハッ」

 協力者が現れて博士は上機嫌である。

 しかし、人間は博士が思っている以上に頓珍漢なことをしでかすものである。特に私は天邪鬼に出来ているのか? 頭では分かっていても、ついつい逆のことをしてしまうことが多い。たとえば、右を曲がらなければと思っていても左に曲がってしまうとか、吸わなければと思っていた蒸気状の薬を吐いてしまうとか。

 このときもまさにそうであった。先ずチヂモンを飲んだのはよかったのだが、次にフクレンを飲まなければと頭では考えていながら、またチヂモンを飲んでしまった。怪しげな力に魅入られたとしか言いようがない。

 さすがに今度はきつかった。さっきより更に激しく押し縮められるような気がして、ぎゅっぎゅっぎゅぎゅと身体中で軋む音がしたかと思うと、私は気をうしなってしまった。

 どれほどの時間が過ぎたのか分からないが、気が付いたら私は、小指の先ほどの大きさになっていた。

 あっ、そうかぁ~! 初めの1錠で10分の1になるのだから、元々173㎝ほどが17cm、次の1錠で更に10分の1だから1.7cmかぁ~? 上手く効くもんだなあ。

 なんて感心している場合ではない。一体どうすればいいんだ!?

 仕方がないから博士に聞こう。

 踏み潰されないように気を付けながら博士に恐々近付き、人見知りの強い私にしては頑張って話し掛けてみたが、元々小さかった私の声は文字通り蚊の鳴くような声になってしまったらしい。博士はただ首を傾げているだけであった。

 それでも私が困っていることは分かったのだろう。博士が口を開いた。

 そのときである。ガォ~と言う怪獣の咆哮のような大音声に私は思わず耳を塞いだ。

 嗚呼、これでは話が出来ない。

 しかしそこは博士、さすがである。大学内にある音響工学研究所の協力を得た結果、私の声は大きくされ、博士の声は小さくされて、何とか話し合うことが出来た。

「博士、私は間違ってチヂモンを2錠も飲んじゃったんですよぉ~。どうしたら元に戻れるのでしょうかぁ!?」

「なぁ~に、簡単なことじゃよぉ! 何じゃ、そんなことで悩んでいたのかね? フクレンを2錠呑めばいいだけじゃ。フフフッ」

 おいおい。そんな呑気なことを言わないでくれよぅ~! 17cmの私なら無理してフクレンを2錠呑めるかも知れないが、1.7cmになってしまってはフクレンを1錠も飲めばお腹がパンクしてしまう。

「駄目ですよぉ~、そんなのぉ! 今の私には1錠だって多過ぎます・・・」

「あっ、確かにそうだねぇ!? ごめん、ごめん・・・」

 博士は暫らく考え、おもむろに言った。

「そうだっ! 注射にしよう!?」

 な、何を言うのだ。あんなぶっとい茶筒みたいなものをぶち込まれたら、一巻の終わりだ。

「や、止めてください! 死んじゃいますよぉ~」

 博士は動じず、むしろ余裕の笑みを浮かべながら、

「大丈夫じゃよ。この頃は皆が嫌がるもんだから滅多にしないが、ちょっと前までは注射と言えば私のところに回って来たものじゃ・・・。こんな小さなマウスへの注射だって慣れたもんじゃよ。まあ任せなさい!」

 遠い目をしながらそう言って指すマウスの方を見ると、私にとっては象ほどあるではないかぁ!

 本当に大丈夫かなあ? でも自信ありげだなあ。仕方が無い・・・。他に方法もなさそうだし、ここは任せてみるかぁ~!?

 しかし、いざ注射針が近付いて来ると、思わず目を閉じてしまい、反射的に逃げていた。

 そのときである。

「痛い!」

 大きな声がしたかと思えば、博士が見る見る膨れ上がって行った。

 

 どうやら博士のどこかに注射針が刺さってしまったらしい。

 でも、これでは益々博士に助けて貰うのは無理そうである。下手に関わったら殺されてしまう・・・。

 仕方が無いから必死になって頭をひねっている内に、もしかしたら上手く行きそうな案が浮かんで来た。

 そうだぁ! チヂモンでフクレンを縮めればいいのだ!!

 でもそれをどうやって? 下手をすればフクレンでチヂモンが膨れるだけかも知れないじゃないかぁ~!?

 よし、ここは冷静に考えてみよう。どちらか勝った方が表に出るのだ。だから小さくなったフクレンを呑めば、結局中和されて余ったチヂモンを飲むことになるのだ。

 いかん、いかん! これでは更に小さくなってしまう。

 ああでもない、こうでもない、と小さな頭を悩ませている内に、元の大きさに戻った博士が近付いて来て、莞爾と笑った。

「博士、一体どうして!?」

「簡単じゃよ。大きな私が小さな錠剤を飲むのは直ぐに出来る。それより君じゃなあ。実はこれも思っていたほど難しくはない」

「えっ、一体どうやってぇ!?」

「なぁ~に、気の長い話じゃが、少しずつかじればいい。固ければわしが砕いてやるから、ぺろぺろ舐めなさい!」

「それだったら、さっき注射するときに用意した薬液があったのではぁ?」

「うん。あれはなあ、弾みで全部わしの中に入ってしもうたぁ」

 仕方の無い博士である。でも、頭は柔軟だなあ。簡単なことなのに、私は動転してしまい、気が付かなかったよぉ~。

 早速私は博士に砕いて貰った錠剤をぺろぺろ舐め始めた。

「色々とすまなかったなあ・・・」

「でも、面白かったから、別にいいですよぉ。大して気にしてませんから・・・」

 博士の研究室を出た私は1年ぶりに普通に戻った自分を確かめるように、彼方此方見回しながらのんびりと歩き出した。

 やっぱり普通が好いなあ。普通が一番!

 でも、何だか変だなあ? 研究室に入る前より足取りが重い・・・。

 そのとき水溜りに映った私を見ると、やけにしわが増え、白髪が目立っていた。

 どうやら小さくなっていた私はアリの1年を送ってしまったようである。

 

        小さくて便利になれば時間まで

        短くなって寂しいのかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 15年ぐらい前に同僚に見せることを意識して書いたSF的な小話を見直し、簡単に加筆訂正してみた。

 

 だから、当時までに私が経験したことや思っていたこととは直接関係のない、発想を遊ばせた話である。

 

 これを書いた時より更に15年ぐらい前に「ゾウの時間ネズミの時間」(本川達雄著、中公新書)が出ている。

 

 そんなことが頭にあったのだろう。

 

 流石に何もないところから出して来るような特殊な才能は持ち合わせていない。

 

 また、ビビビッと降りて来るような霊感もない。

 

 それはまあともかく、ちょっと受けたので、幾つか続編も書いたような気がする。

 

 また探して見直してみたい。

波の間に間に・・・R2.4.4①

 藤沢慎二が27歳の春、当時勤めていた受験関係の出版社、若草教育出版の編集取り纏めをしていた妙齢の女性、崎村京子が結婚を機に辞め、代わりに入って来たのが、新山澄江であった。澄江は地元の短大を出たばかりで、スラリと背が高く、小顔で、華のある可愛い顔立ちをしていた。

 当時、出生地の大阪を遠く離れ、独り暮らしをして4年9か月になる慎二は、元々の若い子好みにもの寂しさも手伝って、当然のように惹かれ始める。

 それを察したのか、一緒に物理の編集に携わっていた後輩の山内杏子がけしかけるように言う。

「新山さん、性格もすっごく可愛い子ですよ。藤沢さん、どうですかぁ?」

「えっ、どうってぇ?」

 慎二は顔を真っ赤にしながら、とぼけようとする。

「おいおい、いきなり持っていかないでよぉ!」

 澄江の上司で自称結構遊び人の真崎利治が笑いながら言う。

 そんな会話に軽く付き合うほど慎二は擦れておらず、益々顔を赤くして、ただ俯いているだけであった。

 その場はそれで終わったが、慎二の心の中は大きく波立ち、何時までも静まることがなかった。

 そんなことが何回か重なる内に、慎二の心の中には自然と澄江の存在が大きく刻印されて行ったのであった。

《しかしなあ、俺と7つも年が離れているし、いきなり言えないよなあいきなり・・・》

 気弱な慎二は何時もそうである。何か迫れない理由を見付け、それで自分を納得させようとする。

 しかしこのときは、それだけの理由ではなかった。他にも同じ程度に気になる子がいたのである。

 それはたまたまであるが、澄江と同期で、苗字が同じ新山久子であった。

 久子は澄江のように、そこにいるだけで周りの人全てを惹き付ける煌びやかなタイプではなく、人を癒す微笑みを慎二にだけそっと届けるような深沈とした泉のようなタイプであった。

《本当は久子の方が一緒に居て気が休まるのだろうなあ!? それに、どう見ても気持ちがはっきり俺の方を向いている・・・》

 勝手なことを思いながら、慎二はそれなりに幸せな日々を送っていた。

 そんなときのことである。コンピュータルームの主任で普段からまあまあ気の合っていた根本隆から慎二に見合い相手を紹介しようと言う話があった。

「どう藤沢君、君、付き合っている人はいるのぉ?」

「いえ、別にいませんけどぉ・・・」

「それだったら、どう、見合いをしてみない? ちょうど好い人がいるんだぁ!」

「あ、ありがとうございます。でも・・・」

「でもって、藤沢君、もしかしたら誰か好きな人でもいるのぉ?」

「ええ、まあ・・・」

「それで、その人とは付き合ってるのぉ?」

「いえ、別に・・・」

「だったら好いじゃない!? 別に付き合っているわけではないんだったら、見合いもしてみたらいいと思うよぉ!」

「でも、待って下さい。この機会に思い切って告白してみますからぁ!」

「わかった。それで、好きな人ってのは誰? この会社の人?」

「あのぉ~、今度入ってきた新山澄江さん・・・」

「嗚呼、編集室の入り口の方に座っているあの背が高くて可愛い子かぁ~!?」

「そうですぅ!」

「ふぅ~ん、藤沢君のタイプはあんな子なんだ・・・」

「いや、別に容姿に惹かれたわけではなくてぇ~、彼女、性格が凄く明るくて、可愛いんですぅ!」

 気の置けない人との正直なやり取りにおいて、美人だから、可愛いから、美脚だから、豊満だから、等々、別に容姿が好みだからと言ってもちっとも構わないはずなのに、慎二はそれを殊更に隠そうとする、古き良き時代の書生タイプを多分に残していた。

 それに本心を言えば、もう少し澄江と久子の間で揺れていたかったところなのに、見合い話に背中を押された感じであった。その結果、迷うことなくぱっと目に付く澄江の方を選んでしまった自分を自分自身に隠したくもあった。

 しかし、心の触れ合いどころか、表面的な付き合いも全くない典子にいきなり個人的な付き合いを求めても、それは無理と言うものである。慎二は外見で女性を惹き付ける方ではなく、直ぐに人の心を掴むような雰囲気や話術もない。ただ、一風変わった波動を出しているようで、それに共鳴するごく一部の女性がたまには居た程度である。

 どうやら久子は、そのごく一部の女性であったらしい。

 その久子に、慎二が澄江に一言の元にあっさりと振られたことを知られてしまったようで、擦れ違うときにさも哀しげな表情をするようになった。

《あ~あっ、久子にまで嫌われちゃったよぅ!? どうせなら初めから久子にしておいたらよかったなあ・・・》

 そんな風に悔やんでみても、後の祭りであった。

 仕方がなく、約束通りに勧められた見合いをしてみたが、写真の溌溂とした感じだけではなく、年なりに遊んでいそうな女性で、慎二は初めから気後れして、そんなに惹かれていなかった為、2人っきりになった途端にギクシャクし、会話が途切れがちであった。

 それでも行きたいところはないかと聞かれた慎二が海と言い、彼女の運転で沼津の海岸まで行ってみたものの、真っ暗な海と砂浜しか見えず、話が全く弾まない。ただただ気まずい時間を過ごしただけに終わってしまった。

 当然のように当日の夜、根本から断わりの電話が入った。

「悪いけどぉ、どうやら駄目みたいなんだ・・・。でも、どう? よかったら、もう一度プッシュしてみようかぁ!?」

 根本はさっぱりとして、何処までも親切であった。根本のようなタイプであれば見合いをしても直ぐにOKを貰えるであろうし、第一出会いがあればものにするはずで、事実既に素敵な伴侶を得て、可愛い子らにも恵まれていた。

 比べて生きることに不器用な慎二には男女双方のリズムが一致するような適齢期が必須で、まだまだその適齢期には遠かったようである。

「いえ、もういいんです・・・」

 見合い相手との関係がこれで終わることについては大してショックを受けなかったが、拒否されたことはそれなりにショックであった。

 

        若い頃自分勝手に募る恋

        波の間に間に消えて行くかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 書いたのは15年ぐらい前であるが、似た事実はそれより更に20年以上前にあった。

 

 それを見直しながら簡単に加筆訂正してみたが、これについては後日、もう少し膨らませてみたい。

 

 それはまあともかく、恋とも言えない不器用な片思いを繰り返し、たまに気の合いそうで交際まで実現可能そうな子がいても、もっと手の届きそうにない、煌びやかな子にも必ずと言っていいほど気が行っていた私は、ついつい先ずは煌びやかに見える子の方に声を掛けようとしていた。

 

 結果は上に書いたようなことの繰り返しであった。

 

 そして、まだまだ適齢期ではなかったのも事実である。

 

 当たり前のことであるが、それぞれの適齢期は平均を意味しておらず、それぞれにある。

 

 ここに子を為す意味での生物学的な適齢期を重ねるから話がややこしくなる!?

 

        心理的準備整う適齢期

        其々違う時に来るかも

主の居ぬ間に・・・R2.4.3③

「言うまでもないことだが、自然が先にあって、物理はそれを出来る限り実際に近い形で簡潔に、美しく記述し、理解、更に応用する手段である。だから、物理が提示する理屈に合わない自然現象があっても全然不思議ではないし、もし明らかな相違が見付かれば、自然や我が目を疑うよりも、物理の理論の方をこそ疑い、構築し直さなければならない。分かるね、諸君?」

 綾敷琢磨博士はそう言ってにやりと笑う。博士は心霊科学の権威で、研究生の安藤盛夫は思わず頷いていた。

「ところで、君たちはブラックホールって聞いたことがあるだろう? 怖ろしいほど高密度で、光までも吸収してしまうと言われている。勿論、ただ吸い込まれるだけではなく、怖ろしい重力で、近付く物は皆破壊されてしまう。真面目に勉強してきた君たちなら、そう信じているはずだ!? しかし、果たして本当かな? フフッ。実はね、あれはアインシュタイン一般相対性理論に基づく重力方程式の解が求められない点、つまり特異点に近似的に決められた解に過ぎないのだよ。そして、そんな解をでっち上げなければならないこと自体、あの理論はまだまだ不完全なんだなあ・・・」

 綾敷博士の顔は益々得意気である。安藤盛夫はすっかり話に引き込まれていた。

「物理学者でもないし、数学的にもそんなに造詣が深いわけでもない私がこんなことを言っていると、また僕が怪しげなことを言い始めた、なんて思う人がいるかも知れないね。では、そろそろ種明かしをすることにしよう。あれは、異界への通り抜けなどとても出来ないんだ、この宇宙は君たちにとって唯一無二のものだよ、ここで大人しく暮らすことだな、と思わせるまやかしでね、実は意外なところに抜け穴があるものなんだ。SF作家や漫画家は流石に鋭いね。たとえばドラえもんのどこでもドアなんかもそうだな。感じるからこそ描いたのだろう」

 種明かしなんて言いながら、綾敷博士の話は何だか怪しくなって来た。

「そう、この私もずっと感じて来た。そして、信じるものは救われるとはこのことだなあ。瞑想の修行をしていた私はあるとき、不思議な波動を感じるようになった。それに身を任せるとだなあ、一瞬で全く別の世界へ飛び出しているんだ。先ず宙に浮かんで、自分の身体が小さく見えたな。そして、次は何処にでも行ける。空間のみならず時間でも何でも、壁なんて存在しない。人間の想像の及ぶ範囲は精々その辺りだが、なんと宇宙を区切っている壁でも自由に超えられる。そう、精神と言うか? 魂と言うか? 肉体を抜け出た存在は、小賢しい物理の理論など屁の河童、何処にでも自由に移れるのだ」

 安藤盛夫は漸く綾敷博士の話に不安を覚え始めた。

 しかし、もう遅かった。気付いたときには綾敷博士にじっと目を見詰められ、目の前で手をひらひらされたかと思うと、安藤盛夫はすぅ~っと夢の世界に入って行った。

「どうだね、安藤君? 君の魂は今、空中を浮かんでいるわけだが、下を見てごらん。ほら、君の肉体が小さく見えるだろう?」

「ええ」

 本当であった。綾敷博士の前で目を閉じ、じっとしている自分がいる。安藤はそれをどう考えていいか分からなかった。

《そうか! 考えてはいけないんだ。見たままを信じるしかないんだ!》

 安藤は一瞬でも綾敷博士を疑った自分を恥じ、それからは博士に言われるままに時空の旅を楽しんだ。

《しかし、どうして何時でも綾敷博士の声が聞こえるのだろう?》

 安藤盛夫がそう考えたとき、近くで声がした。

「それはなあ、君の近くにいるからだよ」

「えっ、一体何処に!?」

「フフッ。見回したところで見えんよ。最早形はないからね。まさしく心眼だな。私が君の気持ちを読めたのは一瞬で君の魂に入り込めたからだが、誰でも直ぐに出来ると言うわけにはいかん。特に今の君は私に言われるままに魂が肉体を抜け出ただけだから、まだまだだなあ。フフフッ」

 それからと言うもの、安藤盛夫は綾敷博士の下で修行に励み、自分でもある程度肉体から離れることが出来るようになった。

 

 そして或る日、暫らく時空の旅を楽しんで来た後、肉体に戻ろうとすると、驚いたことに戻れなくなっていた。

《おや、どうしたことだろう!?》

 すると、自分の肉体から何だか聞き慣れた声が聞こえて来た。

「フフッ。君の若くて元気な肉体は私が貰ったよ。私は何時も君の恵まれた肉体が羨ましくて仕方が無かった。君の凡庸な精神には勿体ないよ。悔しかったらもっと修行をして私の精神に打ち勝つか、それが無理なら別の肉体を捜すことだなあ。フフフッ」

 そして、地上では就寝中に眠るように亡くなっていた綾敷博士の亡骸が、丁重に葬られ、急に頭の好くなった安藤盛夫が綾敷博士の研究室を去って、2度と瞑想に耽らなくなっていた。

 仕方が無く、安藤盛夫の魂は時空を超えて、自分の魂の落ち着き場所を探す旅に出た。

 ほらほらそこの君。ぼんやりしていると、何時の間にか肉体を奪われ、君の魂は空中に叩き出されているかも知れないぞ。フフフッ。

 

 さて、安藤盛夫の肉体を見事乗っ取った綾敷博士の精神は、精神が肉体の影響を強く受けると言うことを知らなさ過ぎた。愛知万博(2005年)の見学をしていたときのこと、あるパビリオンで人形のように整った顔立ちの白人コンパニオンに話し掛けられ、上の空で答えている内に、強い衝撃を受け、何時の間にか綾敷博士の精神は空中に叩き出されていた。

「ハハハ。綾敷博士敗れたりぃ!」

 下を見ると、安藤の肉体に安藤の精神が戻り、得意気に笑っていた。

 そして、安藤の肉体の中でのうのうと暮らして来た綾敷博士の精神には最早、修行を積んで来た安藤の精神に打ち勝つ力は残っていなかった。

 

        精神に身体が強く影響し
        刺激受ければ抜け出すのかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 これは15年ぐらい前に書いたものを見直し、簡単に加筆訂正した。

 

 愛知万博が出て来ることからも時期的なことが分かるであろう。

 

 人形のように整った顔立ちの白人コンパニオンのことは実際にあったことで、私と同じような背丈(170㎝台前半)なので、話すと目の前に小さな顔が来て、現実離れしていてちょっとくらくらした覚えがある。

 

 中学生の頃に行った大阪万博の時にはもう少し遠巻きに見ていたのか? そんな印象は残っていなかった。

 

 今、大阪府知事の記者会見を観ていると、2025年の大阪万博を意識したジャケットを着ているが、今の喧騒が収まり、実現出来ることを願うばかりである。

手首が覚えている!?(3)・・・R2.4.3②

               その3

 

 大阪府の東部にある守口工業高校を出た藤沢浩一は運好く、近くにある大手電機メーカー、杉上電器産業に入ることが出来、オーディオ・ビデオ機器の検査部門に配属された。

 最新の電子測定機器を使って憧れの新製品を検査する。聞こえは好いが、メーターを見て、許容範囲かどうかを確認し、記録するだけのことを毎日決められた時間、延々と繰り返すのであるから、3日もすれば飽きて来た。

 1か月もすると、学校にいたときと違って体中に凝りを覚えるようになった。

 そんなときに先輩に教えられ、比較的近くにある商店街、千林にある足裏マッサージ店を覗いてみた。

《うん? 何処かで会ったことがあるような気がする・・・》

 迎えてくれた女の子のぎこちない笑顔に、何となく見覚えがあった。

 何度目かのときに小中学校と一緒であった及川春江と思い出したが、浩一にとっては苦いと言うか? 恥ずかしい言うか? 黒歴史があるから、口には出せなかった。

 

 高校を中退し、何回か自殺未遂を繰り返した春江は、子ども家庭センターの勧めでカウンセリングを受けるようになり、少し落ち着いて来た。

 自分にはどうにも出来ないことまで抱え込み、どうしようもなくなっていたことに気付かされ、悔しかった。そして、そんなにまでなりながら、何とか生きようとし始めた自分が愛しくなって来た。

 前向きになった春江は目鼻立ちのはっきりした明るい顔に整形し、出直すことにした。

 アルバイトをしながらマッサージの専門学校に入り直し、在学中に国家資格を取った。卒業後、最近伸びて来た足裏マッサージ店に就職し、直向さが認められて主任にもなった。まさに順風満帆であった。

 そんなある日、客として浩一を迎え、春江の心は鈍い痛みを覚えていた。

 

 優等生の山田高志のことを諦め切れずに浩一と付き合っていた高木綾子は、落ち着かない気持ちを反映してか勉強に身が入らず、卒業するのがぎりぎりの成績で、4年制大学にはことごとく落ち、淀川実践短大の幼児教育科に何とか潜り込めた。

 高志は現役で国立京奈大学の経済学部に進んだ。高校を卒業するときにそれまで付き合っていた彼女とは卒業旅行を済ませ、それであっさりと別れたらしい。勿論、大学では新しい彼女が出来、それも1人や2人ではないと言う。

 完全に世界が違ってしまった高志のことを漸く諦め、浩一1人に注目してみると、

《そう捨てたものでもない。自分とは学歴が違ってしまったが、大企業に入っている。決して冒険はしないが、その分、不安も少ないだろう。多少気弱なところがあるものの、十分に格好いい》

 そんな風に満更でもないように思えて来た。

 

「化粧が濃い所為か? それとも整形でもしたのか? 顔が大分変わっていたから、初めは分からなかったけど、目や表情には独特のものがあるから、誤魔化されへん。何回か足裏マッサージをして貰っている内に分かって来たけど、向こうが何も言わへんから、未だ黙ってるねん」

 浩一は不安な気持ちを自分独りの胸に収めておけなくて、綾子に言う。

「整形したって噂を聞いたことがあるわぁ。それに、前には言わなかったけど、何度も手首を切ったことがあるそうよぉ。きっと出直したかったんやぁ~。そんな所に行って怖くないのぉ? 彼女、とっくに気付いているはずよぉ・・・」

 中学校のときから殆んど変わらない浩一の顔を見ながら、綾子は心底心配そうに言った。

 春江は担当者として紹介された瞬間に浩一と分かっていた。

 しかし、浩一は気付いていないようなので、黙っていることにした。

 何回目かのとき、マッサージを始めて暫らくすると、浩一の身体に一瞬緊張が走った。

 身体を触っていてこそ分かる微妙な変化である。

《どうやら気付いたらしいわ。私の顔、かなり変わったはずなのに、流石ね・・・》

 しかし、浩一は口に出そうとしなかったので、春江も黙っていることにした。出直せた今、懐かしくはあっても、特別に恨んでいるわけでもない。  

 それでも、男子は全般的に気弱なのか? 彼女のことに気付くと、こそこそ逃げ出したり、知らん振りをしたりするから可笑しい。

 そして今回も、ぐっとツボを押すと、浩一は一気に眠りの世界に落ちた。

 浩一からの話を聞いて、綾子は心配でならなかった。

《春江に足裏マッサージをして貰うと気持ちが好くて直ぐに寝入ってしまい、気が付いたら終わっていると言うではないか!? 狭いながらも個室だと言うし、幾ら大の男が相手でも、そんなもの何でもし放題ではないか!? 手首まで切った彼女が浩一に危害を加えないとも限らない・・・》

 しかしそれを忠告しても浩一は、

「向こうは知らん振りをしているし、ちょっとスリルがあってええやん。春江と知ってからは気持ち好さが微妙で、それはそれでええねん」

 なんて変態的なことを言って、笑ってさえいる。

《もう知らない! 好きにするがいいわ。首でも何処でも切られるがいい・・・》

 心の中で強がりを言ったものの、綾子の気持ちは少しも収まらなかった。


《嗚呼、気持ちよかった・・・》

「ふぅーっ。フフフッ」

 その日も浩一は身体を小刻みに震わせながら微妙な眠りから醒め、料金を支払い、名乗らないままに足裏マッサージ店を出た。

《どうして俺は不安に耐えながら、綾子の忠告に耳を貸さずに春江の店に行ってしまうんやろぉ・・・》

 答えは分かっていた。怖いもの見たさである。子どもの頃と同じように、春江との間の淫靡な関係が止められないのである。

 しかし、真面目な綾子は単純な浩一にさえある人間の陰の部分に耐えられないらしい。行くのを執拗に止めようとした。

 子どもっぽさを多分に残す浩一には、それがかえって火に油を注ぐ結果となるのも知らずに・・・。

 浩一が帰ってから、春江は可笑しくて仕方がなかった。

《そんなに怖がるのなら、少しはご期待に沿わなくてはね。ウフッ。でも可愛い! 怖かったら来なければいいのに、私と気付いてから余計に来るんだから・・・。それに、変な夢でも見ているのかしら? 時々変な笑い方をしたり、急にピクンとなって、その後身体を小刻みに震わせたり・・・》

「春江さん、春江さん! 何か楽しいことでもあったんですか?」

 浩一を送り出し、暫らく余韻に浸っている春江に、後輩の真澄が言った。

 今まで仕事一筋で、女性客や年配者には受けが好くても、若い男性客はどちらかと言えば苦手としていた春江が、その若い男性客を送り出した後、珍しく相好を崩しているのが何となく気になった。

「いえ、何も。何だか可笑しなお客さんだっただけよ・・・」

 そう言いながら春江は持っていた棒状の物をそっとポケットに隠した。

 その日、綾子の部屋にやって来た浩一が神妙な顔をしながら言う。

「やっぱり・・・、もう春江の店に行くのは止めようかなぁ?」

「急にどうしたん? あれだけ反対したときは面白がって、余計に行っていたのに、何か怖いことでもあったんかぁ~!?」

「う~ん、別にそう言うわけでもないねんけどぉ~、今日、帰るときに春江の顔を見ると、何や薄笑いしてるねん。やっぱり気付いていたんやなあ・・・」

「だから言うたやろぉ~!? 調子に乗っていたらあかんわぁ~」

 そんな遣り取りで安心したのか? 浩一はおもむろに靴下を脱ぎ始めた。

「ウフッ。ウフフフフッ。これ、なあにぃ~? また行くしかないわねえ・・・」

「えっ、どう言うことぉ!?」

 ほら、と言うように綾子が指し示す足の裏を見ると、マジックで大きく、右足に「再」、左足に「見」、と書いてあった。

手首が覚えている!?(2)・・・R2.4.3①

               その2

 

 小学校の6年生の春、藤沢浩一、高木綾子、及川春江たちは兵庫県宝塚市にある仁川まで遠足に来ていた。

 所々に不心得者が残して行った弁当柄、お菓子の袋や箱、飲料のペットボトルや缶等が散乱しているものの、沢を流れる水は透き通って美しく、空気は美味しかった。都会からほんの少ししか離れていないのに、こんなにも清々しい場所があることが不思議でならない、はずであった。

 と言うのは、そんなことが浩一たち男子を喜ばせるのは最初の内だけで、関心は直ぐに別の卑近なところに移って行く。

「なあなあ、春江の弁当、見たかぁ~? 地味な蒲鉾しか入ってなかったでぇ~」

 少々軽いところのある田崎俊夫が邪悪な笑いを浮かべ、ちらっと浩一の弁当を見て言うのを聞きながら、浩一は玉子焼きしか入っていない自分の弁当を左腕で隠し気味にして気弱に笑った。

 春江は遠足や社会見学が好きではなかった。家にお金がないからお菓子をあまり持たせて貰えなかっただけではなく、シングルマザーの母親には時間がなかったから、手の掛かる弁当を作って貰えなかったのだ。

 その日も春江は皆から離れ、岩陰でそっと弁当を開き、蓋で隠しながら食べていたはずなのに、ふと気配を感じ、振り向くと、俊夫の顔があった。

《あっ、男子たちがまた私のことを噂して笑っている・・・》

 そろそろ他の女子たちは好意を持つ男子の噂をして楽しんでいる年頃なのに、春江にとって男子たちはただただ鬱陶しい存在でしかなかった。

 それでも大概のことは慣れて来るもので、春江はもう男子から話し掛けられたからと言って、泣くようなことはなくなっていた。

 綾子は男子たちが他人の弁当を覗き込み、品評会をして楽しむのを悪趣味だとは思っていたが、自分の弁当がお子様ランチのようにバラエティーに富んでいるのを誇らしくも思っていた。

《浩一君も恥ずかしそうに隠しながら食べている・・・。それならば春江さんのことをあんな風に笑わなければいいのに、どうして皆と一緒になって笑うのかしら? あんなところが浩一君の駄目なところね・・・》

 綾子はこの頃、浩一のことが不甲斐なく思えて仕方がなかった。

 それに比べて、学級委員の山田高志は他人を悪く言うことがなかった。そんな風に他人を貶めなくても十分過ぎるほど飛び抜けていた。

 浩一のことを振り払い、綾子は女子たちの高志を噂する輪に入った。

            

 中学校に上がってからの浩一は、勉強においてあまり見込みがないことを知り、手先が器用で、美術が得意であることから工業高校に進むことにした。

 入った学科は機械科で、製図では何時でも褒められるほどの出来栄えであった。

《そう言えば、春江は何とか高校に入ったのに、中退したらしいなあ・・・》

 日曜日にデートをした綾子から聞いたのであった。

 綾子は進学校に進み、どうやら同じ高校に進んだ高志のことが好きなようだが、競争率が激しく、その中の1人として争うのは好まないらしい。淋しくなったら浩一のことを誘い出す。

 浩一はそれでも構わない。居場所を得て、何時かは綾子を振り向かせる自信のようなものが芽生え始めていた。

 中学校においても春江は居場所がなく、息を潜めながら、ひたすら気配を消すようにして3年間を何とか遣り過ごした。

 話し掛けたぐらいでは泣かなくなり、ふてぶてしくさえ見えるようになった春江に興味を失ったのか? 何時までも構うほどの時間がなくなったのか? 男子たちは離れて行ったから、春江は余計な人間関係に煩わされることがなくなり、小学校のときは最低であった成績が、中学校では中の下ぐらいにまで上がって来た。そして、公立高校への進学の道も見えて来た。

 しかし高校に入ったからと言って、何かが変わるわけではなかった。相変わらず人間関係が煩わしい。それに経済的にも苦しい。
 春江は折角勝ち取った一つの可能性への切符をあっさりと捨てた。そしてその挫折は思いの外春江の心に重く圧し掛かっていたようであった。

 地元のトップ校に進んだ綾子は高志との距離が少し近付いたような気がし、密かに喜んでいたが、高志は早くも周りの女子から注目されているらしい。未だ3か月にもならないのに、同級生から自宅に、個人的な付き合いの承諾を求める電話が掛かって来たと言うのだ。

《他のところから来た人たちは凄いんだぁ~。それに比べて、私たちの中学校はどうやら飛び抜けてのんびりしていたようね・・・》 

 授業の進度やサークル活動のレベルの高さでも気後れしていた綾子は、ちょっと落ち込み気味であった。

 そんなとき、漸く公立高校に入れた春江が中退し、手首を切ったと聞く。

 気の弱いところのある浩一には、春江が経済的事情で止むを得ず高校を中退した、とだけ伝えた。

 綾子は浩一等低レベル層の男子たちに加担したような気がし、ちょっと苦々しかった。

 

        成長しじわじわ層が分かれ出し

        友との距離が遠くなるかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 昨日も書いたが、何時もであれば私の分身である藤沢慎二がこの話では少し離れて藤沢浩一となっている。

 

 友達、進路等も大分違って来ているが、私の分身達が小心者のところは変わらない!?

 

 それはまあともかく、この頃の仁川(インチョンではなく、にがわ)はまだ清流であった。

 

 ただ、もっと小さな頃に観たようなごみ一つない、と言った感じでは既になかった。

 

 今は宝塚市内の高級住宅地になっているようである。

 

 ちょっと調べてみたら、公示価格が坪62万円で、生駒市の坪31万円の倍である。

 

 そう言えばこの前近所にある東山の駅前で80坪の宅地が1300万円ぐらいであったから、大分高い。

 

 それだけから考えたら、仁川の清流自体は期待出来ないだろう。

 

 人も土地も時間と共に汚れるもののようである。

 

 それはまあ仕方がないにしても、出来れば恥ずかしくない汚れ方をしたいものだなあ。フフッ。

 

        人や物時間と共に汚れ出し

        それが自然の定めなのかも

 

        出来るなら恥ずかしくなく年重ね

        顔上げながら過ごしたいもの

手首が覚えている!?・・・R2.4.2②

               その1

 

《ううっ、気持ちいい・・・。このまま寝てしまいそうだ。いけない、いけない。うっかり寝てしまったら、一体何をされるか、分かったものではない。春江は未だ俺のことを怨んでいるであろうから・・・》

 藤沢浩一は迫り来る睡魔、そしてそこはかとない不安と闘いながら、及川春江から足裏マッサージを受けていた。

 幼馴染の高木綾子によると、

「春江は未だ浩一等、昔、自分のことを苛めた男子のことを怨んでいるはずで、思い込みの強いところがあり、手首のためらい傷がその証拠やわぁ~」

 と言う。

 言われてみると、確かに春江の手首には、かなり薄くはなっているものの、何本かのためらい傷がある。

《きっと怨みながら付けたんやろうなあ。でも・・・、ううっ、気持ち好いぃ~。もう我慢出来ない・・・》

 浩一は微妙な恐怖感にひくひくしながら、夢の中に落ちて行った。

《今日の藤沢君はどうしてこんなに緊張しているのかしら? 初めの頃はマッサージし始めたら直ぐに寝入ってしまい、終わって起こすまで気付かなかったのに、今日は寝そうになっては必死になって睡魔を振り払おうとする。何だか私のことを警戒しているみたいやわやぁ~。もしかしたら、漸く私のことを思い出したのかしら?》

 春江は浩一が自分のことを思い出したら思い出したで気が重かった。

 

 浩一が初めて店を訪れたとき、春江は直ぐに分かった。どうやら浩一の方は自分のことが分からないらしいので、淋しくもあったが、その分、気が楽だった。そのまま言う積もりはなかったのである。

《でも、ただ思い出すだけではなく、嫌な記憶まで思い出したようやわやぁ~。そして知らない振りをする・・・。男の子なんて皆同じようなものね》


《どうして浩一さんはあんなに天邪鬼なのかしら? 浩一さん等男子が昔苛めた春江さんが居るのなら、あのお店には絶対行かない方が好いと忠告してあげたのに、少しも言うことを聞かない・・・》

 綾子には到底理解出来ないことであった。

 

 数日前、綾子は浩一とデートをしていて、春江が足裏マッサージ店に勤めていること、そして浩一がその店に客として通っていることを聞いたのだった。浩一の感触によると、春江はどうやら浩一のことに気付いていないらしく、また、春江の施す足裏マッサージが余程気持ち好いのか? 始めたら直ぐに寝入ってしまうと言う。

 春江にはとかく微妙な噂がある。かつて皆から受けた仕打ちを怨みに思いながら、何度も自殺未遂をしているらしい。それなのに浩一は信用し過ぎではないか!?

 

 春江とは小学校の3年生のときに出会った。酷く恥ずかしがり屋で、挨拶されただけで泣き出すような子だったので、周りの子、特に男子は面白がって話し掛けた。浩一もご多分に漏れず、ついついわざと話し掛け、春江が泣き出すのを淫靡な笑いを浮かべながら見ていた。

 特に何か溜まっていたわけではない。初めは挨拶するか、何か用があって話し掛けるだけであったのが、春江の過剰な反応に遭い、心の奥に眠っていたサディスティックな部分に火を点けられたようであった。

 快楽は障壁があった方が高まるものらしい。浩一等は叱られても、席を離されても、それがかえって刺激になるようで、執拗に春江に話し掛けた。時には心配する風を装いながら、猫撫で声を出して春江をいたぶり続けた。

《どうしてクラスの皆は私ばかりを責めるのぉ~? 私は少し話し掛けられただけでも恥ずかしくて仕方がないのに、涙が出て来て仕方がないのに、どうして余計に話し掛けて来るのぉ? 頭が真っ白になってしまう・・・》

 春江は男子が何を話し掛けているのかさっぱり分からなかった。ただ、過敏になった身を刺すような雑音、そして淫靡な笑い声にしか聞こえず、優しさの欠片もない邪悪な笑顔にしか見えなかった。

 それでも春江は、学校には行くものだと思っていた。6畳一間のアパートで乳飲み子を2人も抱えながら内職に励む母親のそばに、春江の引き籠る場所など何処を探してもなかった。

 それに、学校に行けば栄養満点で美味しい給食がタップリと食べられた。

《どうして春江は泣いてばかりいるのかしら? 男子なんて別に大したことを言っているわけでもないのに・・・。そんなに嫌だったら、嫌だと言うべきよぉ! 言わないから余計に面白がって話し掛けられるんだわぁ~》

 綾子はじれったくて仕方がなかった。それに、小さい頃はそんなに意地悪には思えず、むしろ優しかったはずの浩一が、他の男子と一緒になって、いや他の男子以上に春江を玩具にしているのが不思議であった。

 しかし、苛めに参加するほどの気持ちがないだけで、止めるほどの気持ちもなかった。綾子を含め女子は、遠巻きに固唾を呑んで見ているか、無関心を装いながら実は興味津々で耳や目を欹てているか、幼いながらもう立派な野次馬に成り果てていた。

 

        他人のこと言うほど皆は気にせずに

        変わっていればつい弄るかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 これは15年ぐらい前に書いたものを見直しながら加筆訂正したものである。

 

 ほぼ私の分身であ藤沢慎二から藤沢浩一になっているのは、ちょっと距離をつもりであろうか!?

 

 まあ小学校時代の黒歴史だからなあ。フフッ。

 

 小学校に上がった頃は抜けていたようで、休み時間が終わっても教室に戻らず、度々担任の先生が呼びに来た覚えがある。

 

 その分、軽く見られたり、からかわれたり。

 

 やがてそれが苛めとなるのにそう時間を要さなかった。

 

 それが2年間続き、3年生になった頃は大きくなり始めた私が、反対の立場になったように思います。

 

 苛めっ子達に立ち向かうようになり、変わった子、泣き虫の子等を弄るようになっていました。

 

 大きくなるに連れ恥ずかしくなり、避けるようにしていた覚えがあります。

 

 私を苛めていた子等の私に対する態度もそんな感じでした。

 

 それから40年も経っていたのに自分の中ではくっきりと残ていた恥ずかしさ。

 

 自分にもそんな面があったと言うこと。

 

 それは今後も忘れないようにしたいと思う。